「私がお見舞いに行くと、お父さんはつらいのに、いつも元気に振る舞って。やさしかったし、明るかった。いつも私のそばにいてくれた温かい人でした」

 ただ、病気のことはよくわからなかったという。

なんで死んじゃったのか理解できない

「なんで入院したのか。そこはあまり話してくれなかったですね。私が小さかったから、というのもあるんでしょうけど」

 と恵子さん。当時は、母親やベッドに寝ている父を“なんで入院するの?”“いつ帰って来るの?”と質問攻めにしていたという。

 恵子さんは、最後の家族旅行のことを覚えている。

「お父さんは温泉が好きだったみたいで、よく温泉に一緒に行った思い出があります。病院から一時退院して行った旅行の帰りには、“また来ような”って。どんな気持ちで言っていたのかな……」

 病魔は、若い身体を激しいスピードでむしばみ続け'07年8月3日、親族一同が見守る中、静かに息を引き取った。

 父の枕元で恵子さんは、何度も“ねぇ、パパ死んじゃったの?”“パパなんで起きないの?”と聞き続けたという。

 母親の綾子さんは、

「お父さんは、肺がんって病気で死んじゃったんだよ、と説明をしました。でも、まだ病気のこととかは、よくわかっていないようでした……」

 と当時を振り返る。

 恵子さんはその後も、うまく受け止めることができず、

「お母さんからちゃんと説明を受けてましたけど、なんで死んでしまったのかがよくわかっていませんでした。なんで死んじゃったの? そんな気持ちはずっとありました」

 綾子さんは家計を支えるため夜遅くまで働き、涙を流す余裕さえ全然なかったという。

 そんな姿も恵子さんには、

「お母さんは一切涙を見せなかったですし、悲しくないのかなとも思ってしまいました」

 と映っていた。

「お母さんはいっぱい仕事をしなきゃいけなかったし、一緒にいる時間は少なかったです。いつも母の実家に預けられていて寂しかったですね」