「俺は一生、大人にはならないからそこは腹をくくって、そのスタイルで生きていこうと。13歳になる息子にも、常識とかルールとかに縛られて夢を見られなくなるんだったら、大人にならなくていい、“コドナ”になりなさいって伝えています」

 俳優、音楽活動を通して強いメッセージを発信し続ける窪塚洋介(38)。名匠マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙ーサイレンスー』ではハリウッドデビューを果たし、その活躍は世界からも称賛されつつある。

「作品が評価されたのは光栄だけど、今も監督やプロデューサーの名前を聞いてふたつ返事で仕事を引き受けることはないです。ワクワクして挑めるもの、あとは肌で感じた直感とか。どの作品も“最後の仕事”だと思って気合を込めてやる。それは昔から変わらないです」

 かつてドラマ『池袋ウエストゲートパーク』や映画『GO』、『ピンポン』などに出演、強烈な存在感を放ち“若手俳優”として第一線で活躍してきた彼だったが、同時に複雑な思いが交錯することもあった。

「20代前半くらいかな、自分なりにいろいろとメッセージを発信しだした途端に“色メガネ”で見られたり、メディアで叩(たた)かれるようになりました。作為的なメディアの体質も思い知ったんですが、でも需要と供給を考えたらそういうものなのかなって。

 それで、もう期待するのはやめようと。足るを知って、自分のなすべきことだけをやってればいいって思うようになったし、結果的に反骨精神を育んでもらった。強くなったのもそういう経験があったからだと思います」

転落事故当時は前向きだった「何とかなるさ」

 結婚し、育児休業中だった2004年には、横須賀市の自宅マンション9階から転落。この事故はメディアでも大きく取り上げられたが、当の本人はいたって前向きだった。

「ビルから落っこちて、リハビリしているときは、意外と不安な気持ちはなくて。自分の気合しだいだと思っていたし“何とかなるさ”みたいな。単純に身体が動かないことに対しては、ちょっとくすぶっていた感じはありましたけど」

窪塚洋介 撮影/伊藤和幸
窪塚洋介 撮影/伊藤和幸

 今では映画に音楽にと幅広く活躍。大人の色気も増して、若いころとはまた違った魅力を感じさせる。

 彼の“自分自身の思いを届けたい、シェアしたい”という思いは今も昔も変わらず、メッセンジャーとして人に何か伝えるために活動をしていると断言する。

 その“思いを伝える”ことは、夫として、父としても同じこと。

「(家庭内でも)愛してるよって言葉をかけ合う、それが日常ですね。特別なことではなく、“おはよう”“ありがとう”と言うのと同じ感覚。息子にも言いますよ。言い返してもくれるし、ハグもハイタッチもよくします。そういうことをしてきたからなのかな? いろいろあったのでグレるだろうなって思ってたんですが、スゴいまっすぐに育ってくれてます(笑)」

 転落事故に、離婚、再婚。そして最近では長女の誕生も話題に。苦しみも喜びもともに乗り越えてきた長男には常に“アイラブユー”を伝えることを忘れない。