木下サーカス社長・木下唯志さん 撮影/渡邉智裕

 初夏だというのにセーターが恋しいような気温の6月某日の北海道札幌市──。

 だが、ここ豊平区の福住(ふくずみ)の旧月寒(つきさむ)グリーンドーム特設会場は、人々の熱気で沸き返っていた。お目当ては、『奇跡のホワイトライオン世界猛獣ショー 木下大サーカス』。北海道での公演は、実に5年ぶりだという。

 2000人収容の真っ赤なテントのその中では、「レディス&ジェントルメン! 奇跡の大サーカスの始まりです!」とのアナウンスが流れ、観客の期待感をいやがうえにもかき立てる。

 照明がスッと暗くなり、ミラーボールのきらめきと、鞭のように飛び回るレーザービームに目を奪われていると、純白の衣装をまとった女性が現れ、バレエと新体操をミックスしたような、幻想的なパフォーマンスを開始した。夢の世界、非日常の始まりだ。

 観客からの割れるような拍手の中、観客の様子をうかがい、演技者たちの調子を確かめる男性が1人。木下サーカスの社長・木下唯志(ただし)さんだ。

 木下さんが言う。

「決して諦めず、人のできないことをやろうと。ビジネスには情熱がなければいけない。これまでそう思ってやってきました」

 年間動員数120万人。

 観客であふれるこの会場からは想像もできないが、かつては10億円もの借金を抱え、廃業寸前にまでなった。3年間もの長きにわたり、闘病生活を送った経験もある。

 そんな木下さんの、決して平坦でなかった情熱の半生とは──?

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明治35(1902)年、中国の大連で軽業の一座を立ち上げたのが木下サーカスの始まり。写真は旗揚げして意気盛んなころの初代・唯助氏

 木下唯志さんは、明治35(1902)年の創業以来、115年続く木下サーカス2代目社長・木下光三(みつぞう)さんのもと、岡山で生まれた。

「私は次男坊でしたからね。幼稚園のころだったかには、“兄貴(故・光宣[みつのり]さん)が団長になるんなら、自分は副団長になる”。そんなふうに言っていたらしいです」

 そんな木下さんは長じては明治大学経営学部に入学。同時に体育会剣道部に入部した。

「剣道の経験? まったくの初心者でしたよ。明治の剣道部といったら名門で、それを知っていたら入っていません。ところが4月8日、新入生がイガグリ頭で学生服着て歩いていると、部活の勧誘で連れて行かれるわけですよ」

 当初、連れて行かれたのは拳法部。ところが、その隣では剣道部が合宿をしていた。

「見ると紺の胴着で、みんな玉の汗を流して頑張っている。“これはいいな”と。それで門を叩いたんです」

 警視庁の主席師範を指導者にいただいていた名門剣道部での毎日は、極めて厳しいものだった。猛稽古の合間には、新入生は道場の掃除などはもちろんのこと、風呂場では先輩の背中を流すなど、さまざまな雑用をこなさなければならない。

 そんな中でも本人のやる気とよき指導により、経験なしで入部した木下さんもメキメキと剣道の腕を上げていく。わずか1年で初段に、2年で二段、3年生の時には三段に合格するほどになっていた。