お客さんに同業他社の商品をすすめた

 短大卒業後に就職したのは、教授の推薦で入社した野村證券だ。キャビンアテンダントへの憧れを抱いていたが「世界のノムラだよ」という教授のひと言にちょっとしたミーハー心が芽生え、入社を決めた。

 田丸さんはカウンターレディーとして、投資相談の窓口業務を行っていた。このとき、今でも忘れられない印象深い出来事がある。

 ある若いご夫婦が、マンションの頭金としてコツコツ貯めた100万円をキャッシュで持って来た。1か月先に使う100万円を1円でも利息の高いところに預けたいと、銀行預金よりも、利率がいい中期国債ファンドの話を聞きたいと来店した。そこで中期国債ファンドの説明をして、「確かに1か月間なら最も利率のいい安定した預金と言えると思います」と伝えると「それが一番いいんですよね?」と念を押された。田丸さんは、ほんの少し迷ったものの、正直にこう言った。

「お客様、“1円でも利息の高いところがいい”ならば、この下の階にS証券さんがあります。そちらのほうが野村證券よりも利率はいいです。1か月で解約できて元本保証もあるなど内容も同じですから、S証券さんがいいかもしれません」

 あろうことか、田丸さんは他社の中期国債ファンドをおすすめしたのだ。ご夫婦は、「そんなことを言っていいんですか?」と驚きつつも、アドバイスどおりS証券に行ってしまった。

 上司からは、「なんで余計なことを言ったの?」と叱られた。田丸さんにとっても、ダメージはある。ノルマがあり、キャッシュで持ってきたお客様は自分の成績に直結する大切なお客様になるからだ。それでも田丸さんは、他社をすすめた。

「1円でも利息の高いところ、というご要望でしたから。知っているのに言わないということがどうしてもできなかったのです」

 この話には、続きがある。若い夫婦は、S証券に話を聞きに行ったものの、結局、田丸さんのところに戻って契約してくれたのだ。

「S証券では、中期国債ファンド以外の株をすすめられて不信感を抱いたそうで、“あなたほど僕たちのことを真剣に考えてくれませんでした”とおっしゃいました。うれしかったですね。しかもそのご夫婦は、その後、新しいお客様をたくさん紹介してくださいました。お客様のためとはどういうことか、この経験から学んだように思います

証券レディー時代。支店のポスターを手作りしていた
証券レディー時代。支店のポスターを手作りしていた
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出会ったその日に決めた結婚

 野村證券は3年9か月で辞めた。「どうしても、この仕事がしたい!」という思いはなかったので、「石の上にも3年。3年たったら辞めよう」と入社したときから決めていた。「人材教育のように、人に伝える仕事がしたい」という思いはあったが、これ! という仕事は見つからない。当時、24歳。以後、自分探しを兼ねてスキーのインストラクター、重役秘書、中学校の英語講師など……さまざまなことを経験する。

 そして27歳になった春、現在の夫と運命の出会いを果たす。野村證券時代の先輩が誘ってくれた食事会に来ていたのだ。

 なんと田丸さんは、出会ったその日に結婚を決めた。

「一目惚れです(笑)。私は、レストランでメニューを決めるときでさえ優柔不断なのに、彼に対してだけは、“あ、この人とずっと一緒にいたい!”とピンときました。その日は、3次会までありましたが、3次会のころには2人の世界。帰りに、自宅まで送ってもらうときに“結婚しよう”と言われました」

 とはいえ、しがらみや古い因習も多そうな京都の老舗に嫁ぐことに不安はなかったのだろうか。

「まったくなかったです。老舗といっても当時は小さな和菓子屋さんでしたし、大阪育ちの私にとって、京都の老舗事情などは知る由もありませんでしたから

 お店がうまくいっていないことも知ったが、そこは、結婚の障害にはならなかった。

「むしろ、うまくいっている裕福な家で苦労せずに育ったお坊ちゃんだったら惹かれていなかったと思います。野村證券時代、いわゆるエリートをたくさん見てきましたが、あまり私は魅力を感じなかった。安定した結婚生活はイメージできても、自分の居場所がイメージできませんでした。主人とは、これから苦楽をともにして二人三脚でやっていける、その幸せをかみしめていました

 出会って4か月後、1994年9月に2人は結婚。文字どおり、スピード婚だった。笹屋伊織のお店近くにある慎ましい賃貸での生活がスタートした。すぐに長男にも恵まれ、その後、2人の娘も授かった。