自主避難者への政策はひとつも描かれず

 事故対応に目を転じてもさまざまな問題が浮き彫りになる。’13年のIOC総会で、東京招致をアピールするために語った安倍首相の「アンダーコントロール」発言は、原発事故被害者からあきれと怒りを買った。いまなお溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の全体像は不明であり、原子炉建屋に流れ込む大量の地下水によって汚染水は増え続ける一方。遮水効果がはっきりしない凍土壁も、専門家からは「コストがかかるだけ。ほかの方法を」という声が上がっている。

 原発に詳しい科学ジャーナリストの倉澤治雄さんは、

事故の原因究明は行われず、東電の刑事責任追及もなされていません。また、低線量被ばくの問題も未解明で、避難計画の策定も不十分です。こうした中で、国民の3分の2が脱原発を望んでいます。’15年に、ドイツのメルケル首相が来日し、安倍首相との会談で“ドイツは原子力から撤退する。日本も同じ道を歩んでほしい”と訴えましたが、安倍首相は“安全審査を終えた原発は再稼働する”とかわしてしまいました」

 民主的に脱原発を進めたドイツの対応とは対照的に、日本の原発政策は、問題の先送りばかりが目につく。

「1979年に事故を起こしたスリーマイル島原発は廃炉に最長でも140年以上かかると見込まれています。福島の廃炉に30~40年という見通しは甘い。何より、原発から出る高レベル放射性廃棄物はレベルが下がるまで10万年を要する大仕事です。将来世代にまで解決不能な負担を負わせる原発をいつまで続けるのか、いまこそ深く考えるときです」(倉澤さん)

 原発事故による被害者への対応はどうだったか。

 ’15年に出された復興政策の指針、「原子力災害からの福島復興の加速に向けて」改訂版には、政権の姿勢が如実に表れている。自主避難者への政策はひとつも描かれず、営業損害に対する賠償の事実上の打ち切り、強制避難者の帰還政策が打ち出された。’17年3月には、自主避難者への借上住宅供与の打ち切りを敢行、いまだ放射線量が下がりきらない居住制限区域の避難指示を一気に解除した。これに連動し、慰謝料も次々と打ち切っている。

 また、住民にとって被ばく低減に必要な除染は1度終われば「除染完了」とされ、局所的に放射線量が高いホットスポットが見つかっても、「1日じゅう、そこに居続けるわけではない」として例外を除き再除染しない方針だ。除染によって出た汚染土は、完成のめどのつかない中間貯蔵施設予定地に前倒しで運び込まれている。

 安倍政権は、「被災地に寄り添う」と言いながら被ばく影響への不安や郷里への思いを抱えた被害者をふみにじり、無視してきた。