それにしても、なぜたけしはこれほどカツラネタが好きなのだろうか。彼が喜々として、子供のようにはしゃぎながらカツラネタを話しているところをテレビで見たことがある人は多いはずだ。たけしのカツラに対するこだわりは尋常なものではない。そこには何か特別な理由があるのだろうか。

 しばしば誤解されがちだが、たけしは決して髪の毛の薄い人をからかうようなネタが好きなわけではない。たとえば、こんな話がある。

 「M-1グランプリ」(テレビ朝日系)で優勝したこともある実力派コンビのトレンディエンジェルは、自分たちが薄毛であることをネタにしていることで有名だ。しかし、トレンディエンジェルの斎藤司は2014年に「THE MANZAI 2014」(フジテレビ系)に出場した際、たけしから「俺は隠しているほうが好きだけどな」と告げられたのだという。

 そう、たけしが好きなのは「薄毛の頭部」そのものではない。トレンディエンジェルのように、自分たちの頭髪の量が少ないことを気にするそぶりもなく、明るく開き直るような芸風には、それほどの興味はないのだろう。

芸人・ビートたけしの根底に流れているもの

 おそらく、たけしは「カツラ」そのものが好きなわけではない。むしろ、自分の頭髪が薄いことを気にして、バレてしまうリスクを負ってでもカツラをかぶりたくなってしまう、人間の性(さが)に関心があるのではないだろうか。

 人間とは実に弱くて、ずるくて、情けない生き物だ。世の中にはびこっている偽善や欺瞞をあぶり出し、その裏にある真実を暴き出して笑い飛ばしたい、という欲望こそが、芸人・ビートたけしの根底に流れているものだ。

「毒ガス漫才」と呼ばれたツービートの漫才に始まり、たけしの披露する漫談やコント、彼の手掛ける映画作品まで、すべてに共通しているのは、か弱い人間が自分を守るために作り出したウソを、ウソだと指摘して白日の下にさらす「残酷さを秘めた笑い」の感覚だ。

 たけしは映画やドラマによくある不自然な演出を指摘するネタをよくやっていた。「なぜ刑事ドラマで犯人を追い詰めるときはいつも崖の上なんだ?」「なぜ犯人が車で逃げているときに、車の走り去った後の道路に沿って銃を撃つんだ?」といった内容だ。

 もともとそういう視点を持っていたからこそ、自分が映画を作るときには、そのような常識に縛られず、斬新な撮り方ができた。