関野の取り組みのモチベーションはどこからやって来るのだろうか。大島が言う。

「異常なほどの好奇心からですね。まだやりたいことは10個以上あると言ってますから。知りたい、身体で学びたいという欲望がすごい。僕は“静かなる狂気”と呼んでいるんです。これまで僕は、ドキュメンタリーで、特異な才能を持った人を多く取材してきましたが、それらの人々の中でも関野さんは群を抜いてイカれている(笑)。

 それは“時間の長さ”なんですね。何かを思い定めたときに、これくらいかかるだろう、という時間の長さがほかの人と全然違う。医者になることもそう。グレートジャーニーの企画自体がそもそもイカれているじゃないですか」

 それにしても、関野の家族は亭主のこれまでをどう思っているのだろうか。

「妻は、僕のやっていることは遊びだと思っているんです」と関野は笑う。

「『グレート〜』を始めるときも、“そこまでやるとは思わなかった。いったい何で医者になったの?”とあきれてました。結婚したとき探検をやるとはわかっていたのですが、40歳ぐらいでやめると思ってたみたいですからね」

 妻は、10年ほど前から鍼灸師となり、娘も独立して仕事をしている。

 グレートジャーニーから数年後、大島は関野に会った。

「奥さんから、海外に行っちゃいけない“渡航禁止令”が出てたようなんですが、大学の講義の傍ら、東京・下町のなめし皮工場で1年ほど見習いとして働いていたと言うんです。本当にたまげました。その意志の強さ、“ちゃんと時間をかける”という姿勢に感激した。関野さんの探検はどこにでもある。海外の秘境にも、隣町にも、カレーの中にもあるということなんですよ」

 関野は現在、日本を知る取り組みに力を入れる。アイヌ、鷹匠、マタギとの交流。そして、動物の皮をさまざまな工程を経て「革」にするなめし皮工場で働き、差別や産業の空洞化などの問題を見つめた。

 その経験は、関野ゼミの授業にも生かされている。

「地球永住計画」とは何か?

「いま、『地球永住計画』という芸術祭をやろうとしています」と関野は言う。

「地球に住めなくなったら、火星へ移り住む『火星移住計画』というのがあって、実際にアメリカで東京ドームのような建物を作り、8人の研究者と4000種の動植物を入れて、実験したんです。けれど失敗に終わった。見学しましたが、これは実現できないなと実感しました。そこで、考えたのが、火星に移るんじゃなくて、地球で生き続けるためにはどうしたらいいかということ。それで行き着いた考えが『地球永住計画』なんです」

 2年前から人間、生命、地球、宇宙を知るために、一線で活躍する科学者、研究者、アーティストによる講座を開催。また、玉川上水の動植物の調査なども行い、その周囲の古老や達人の聞き書きなどをしている。

 関野の「大いなる旅」はまだ一向に終わってはいなかったのだ。

「番組にならなくてもグレートジャーニーは、きっと続けていましたね。半年働いて半年行ってとか、方法はいくらでもある。最初から80歳までにゴールすればいいや、と思ってましたから。もし番組にならなかったら、今ごろ、僕はまだグレートジャーニー途上で、世界のどこかをひとりで旅してたかもしれませんね」

 恐るべし、まさに「静かなる狂気」としか言いようがない。参りました。

取材・文/小泉カツミ 撮影/森田晃博

小泉カツミ(こいずみ・かつみ)◎ノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』(文藝春秋)がある。