いじめと性暴力で尊厳を奪われ続けた

 ハンドルネーム・暗器使いさん(30代)は、小学1年生からいじめを受けた。なかには性暴力が含まれていたが、自覚はなかった。

 他人より作業が遅いことなどを理由に、目をつけられた担任が中心となり、クラスでいじめを受けた。殴る蹴るのほか、給食も無理やり食べさせられ、吐いたものまで口に突っ込まれた。

 両親には相談できなかった。兄には重度の障害があるため、母はつきっきり。いじめでケガをして帰っても「親に迷惑をかけるな」「あなたは自分で頑張りなさい」と厳しく言われた。父は家庭を顧みず、酒に酔うと暴力をふるう。家は逃げ場ではなかった。

 高学年のとき、ズボンとパンツを脱がされた。

いじめを回避することをあきらめていました。ズボンや下着を脱がされたことは性暴力ですが、当時はわかっていません」

男性の性暴力被害の深刻な実態を伝えるため暗器使いさんは講演活動を行っている
男性の性暴力被害の深刻な実態を伝えるため暗器使いさんは講演活動を行っている
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 中学でもいじめは続く。地域の小学校を卒業した加害者の大半が一緒だ。ゴキブリや昆虫を食わされたり、便器に顔を押しつけられて水を飲まされたり、大便も食べさせられた。

「小学生のときのいじめも地獄でしたが、中学時代に受けたのは人間のすることじゃない。異常です。生も性も尊厳も全部、否定されました」

 担任は明らかにいじめに気がついていたが、気がつかないふりをしており、止めようともしなかった。

 野球部の先輩からもいじめられた。暗器使いさんは野球部ではなかったが、あるとき、男性の先輩の1人から呼び出された。

「リンチされるのかと思っていました。しかし、2人きりの状況で裸にされて、先輩の男性器を口に含まされ、首を絞めながらお尻をレイプされました。先輩が卒業するまで呼び出されました。性被害という意識はまったくなく、でも言いようのない恥ずかしさとストレスを感じていました」

 ほかのいじめもエスカレートしていく。教室内で自慰行為を強制させられた。あるとき、「いつもと同じだとつまらないから、殴りながらやろう」と加害者の女子生徒が言い、集団リンチされながら自慰行為をさせられるようになった。

 また、別の女子生徒の“考え”で、自慰行為のとき、男性器にカッターを突きつけられた。「早く射精しないと切り落とすよ」と笑っている姿は、ただただ恐怖だったという。

いまだに許せないのは先生です。例えば1度、別のクラスの先生が、私が裸にさせられ、囲まれている現場に出くわしたことがありました。それでも“ほどほどにしなよ”と言っただけ。学校全体でいじめを知りながら見ないようにしたのではないでしょうか。先生たちには加害者と同等の憎しみがありました」

 高校進学後もいじめは続く。同じ中学出身の生徒がいたため、レイプ以外の、性暴力を含むいじめが高校でも繰り返された。先生はいじめを目撃したときも、「遅くならない程度に帰れ」と言っただけだ。

「もはや尊厳を奪われるのが普通で、感覚が麻痺していました。ただ高校を卒業すると、いじめは完全になくなりました。しかし、長年のいじめで蓄積したストレスと憎しみと人間不信は残り続けました」

 成人してから、いじめの経験を発表する機会を得た。しかし、自分が受けたのが性暴力とわかったため、恥ずかしさとともに加害者への憎しみが強まり、苦しみも増した。

 カウンセラーや精神科などにも複数相談したが、性被害についてはなかなか信用されなかった。

「“ウソだよね”と最初から信用されないことが多く。信用されても、“女性なら大変なことだけど、男だから気にしないことだ”と言われ苦しみは増しました」

 そのため、いじめ性暴力をテーマにしたトークイベントを自分で開催したり、人前で被害体験を話す機会を積極的に作った。

 暗器使いさんはいま、こんな懸念を抱いている。

「今回の法改正は、今まで男性の性被害が社会から無視されてきた証拠であって、過去に被害に遭った被害者は何も救われません。また法律を変えるだけではなく、警察や医師、支援団体が男性の性被害を理解して、丁寧に対応できるようにならなければ、被害を訴えられないままです

◎取材・文/渋井哲也
ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。若者の生きづらさ、いじめ問題などを中心に取材。近著に『命を救えなかった─釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)

◎男性の性暴力サバイバーの支援団体
RANKA
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