今や、さまざまなでネット媒体で記事を見かけない日がないジャニーズタレントの面々。でも、私がある媒体でジャニーズ担当をしていた1990年代後半から2000年代半ばごろは、今ほどネット社会ではなく、携帯電話はあってもスマホなんて存在すらしてなかった。思い返せば、当時はSMAP、TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐が次々とデビューを果たし、その人気や活躍ぶりは、最近の若手グループとは比べものにならないほど、それはそれはスゴかった。でも、当時の彼らの様子は、今ほどネット記事に残っておらず、なんとも残念。そこで! 番記者だった私が、実際に見て聞いて感じてきた“ジャニーズ黄金期”のあれこれを、このシリーズで伝えていくことに。彼らの知られざる努力や喜怒哀楽の数々を、楽しんでもらえたらと思います(取材・文/翔田しゅう)

今だから明かせる『SMAP×SMAP』誕生の秘密

若かりしころのSMAP  (イラスト/山中まこ)

 まずは、やはりこのグループSMAPから。彼らの人気を絶対的なものにし、記憶にも記録にも未来永劫残るであろう、国民的バラエティ番組『SMAP×SMAP』。今回は、この番組の立ち上げのころの、あまり知られていない“真実”を掘り起こしていく。

 1996年4月にフジテレビの月曜22時に誕生した『SMAP×SMAP』(以下『スマスマ』)は、当時のテレビ業界をちょっと“ざわざわ”させた番組だった。

 1996年といえば、そのころまだ中居正広木村拓哉稲垣吾郎森且行草なぎ剛香取慎吾の6人グループだったSMAPは、『がんばりましょう』をはじめとしたシングル曲でヒットを飛ばし始め、中居正広木村拓哉が主演ドラマで存在感を発揮するなど、ソロ活動も波に乗ってきていた時期。

 すでに、テレビ東京やテレビ朝日のローカル枠などでは、自身のバラエティ番組を持っていたSMAPだったが、そんな彼らの人気が本物だと確信したテレビ各局は、「今こそわが局のゴールデンタイムで全国放送のSMAPの番組を!」と躍起になっていた。

 そんな中、放送権をゲットしたのは、それまでレギュラー番組でSMAPに“貢献”していたテレ東でもテレ朝でもなく、なんとフジテレビ! それは、巧妙な駆け引きと偶然の出来事がいくつも重なった結果だった。

 当時のフジテレビといえば、“月9”を筆頭に、ドラマが軒並み高視聴率を獲得していたころ。今じゃ考えられないけど、「月曜9時に街からOLが消えた」なんてニュースが流れたこともあったほど、フジのドラマはトレンドの中心だった。

 タレントにとってフジのドラマに出演することは“人気の証し”で、タレント事務所のマネジャーはみんな、ドラマのプロデューサーへの営業活動に必死。それは、ジャニーズ事務所のSMAP担当の I 女史も例外ではなかったよう。