10年の芸能活動。人生観を変えた2つの死

 もうひとつ、人生を大きく変えたのが、芸能活動を始めたこと。専門学校生時代、原宿でスカウトされ、以後、約10年間も芸能人として活動したのだ。

 女子大生ブームの中、深夜に放送された人気番組『オールナイトフジ』にレギュラー出演。また、レポーターとしても活躍し、バリ島やパラオ、フランスなどの海外ロケにも出向いた。女優としては、火曜サスペンス劇場、土曜ワイド劇場などに相当数出演。’95年に劇場公開された映画『風の見える街』では、主演も務めた。

タレント時代、グラビアも経験した
タレント時代、グラビアも経験した
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「それなりに頑張っていたつもりでしたが、今、振り返ると自分に甘すぎました。だって、シャンプーのCMのオーディションに出かけた日に、起き抜けのボサボサ頭で会場に到着して、“本当に起用されたいの!?”と審査員に咎められたぐらいですから」

 当時を知る、『オールナイトフジ』で知り合って以来の友人である三谷亜美さんはこう話す。

「私は、ガッツのある人だと思っていましたよ。常に自分のやりたいことを見つけて、それに向かって突進するパワーは、当時も今も変わりません

 芸能活動中、最も忘れられない出来事は、南米のアマゾン川をカヌーの第一人者が下るチャレンジ番組のレポーターとして、1か月半の予定で南米に出かけたときのことだ。到着したボリビアで高山病になる、マイナス20度の中で寝袋で寝て凍傷寸前になるなど過酷な体験を経て、ようやくメインのロケ地のチリのアマゾン川に到着。しかし、一緒に行ったメンバーのひとりが不慮の事故で亡くなってしまったのだ。

「亡くなる当日、午前中は一緒にカヌーに乗る撮影をしたのに、帰らぬ人となってしまった。1か月近くもみんなで寝食をともにし、励まし合いながらロケを続けていたのでとにかくショックで……」

 しかも、このロケから2年もたたずに、母をがんで亡くしてしまう。2つの出来事は、露木さんの人生観を大きく変えた。より、全力疾走しながら生きるようになった。

「命って、あっという間になくなっちゃうんだなあ……と。いつ、どうなるかわからないからこそ、1日24時間を存分に生きようと思いました」

言葉のDV、モラハラ夫からの“昼逃げ”

 芸能活動を終える契機は、結婚と妊娠だった。露木さんは、知人の紹介で知り合った自営業の男性と入籍し、第1子を出産するのを機に芸能活動から身を引いた。’98年のことだ。以後、2000年に第2子、2001年に第3子が生まれ、専業主婦として円満な家庭生活を送っていたのかと思いきや……。

夫は、DVでした。言葉の暴力だったから、モラルハラスメントですね。彼の口グセは、“俺が上、お前が下”。ちょっとでも気に入らないことがあると、家の鍵を付け替えられる、時には生活費を入れてくれない。精神的苦痛はかなりのものでした」

 当時、「モラハラ」はおろか、「DV」という言葉すら世間ではほとんど知られていなかった。露木さんも、結婚当初は「おかしい」と思ったが、誰かにさりげなく言っても、夫婦の痴話ゲンカで片づけられてしまう。しかし、夫の言葉の暴力を浴び続けるうち、次第に、子どもを道連れにした心中が頭をよぎるほど深刻になった。

 このままではまずい! と思ったのは「子どもにまで悪影響が及ぶ」と感じたからだ。