妹一家の幸せな姿を残しておきたい

「絵の中の女の子に気づいたとき、“あ! にいなちゃんがいる”と叫んでいました」

 小学校の先生から、遺品として受け取った、にいなちゃんの絵は、目にするのもつらくて、しまい込んでいた。

 再び取り出したのは、事件から半年あまりが過ぎた、にいなちゃんの誕生日のことだ。

「『スーホの白い馬』という物語の一場面を描いた絵ですが、ほら、ここに!」

 入江さんは絵を見せながら、声を弾ませる。

 白い仔馬を抱いた、スーホの隣に、頭にバンダナを巻いた女の子が、しっかりと描かれていた。

 その姿は、事件前日のにいなちゃんそのものだった。

姪御さんのにいなちゃんが描いた『スーホの白い馬』の一場面。にいなちゃんの遺品となったこの絵が、入江さんが立ち直るきっかけとなった
姪御さんのにいなちゃんが描いた『スーホの白い馬』の一場面。にいなちゃんの遺品となったこの絵が、入江さんが立ち直るきっかけとなった
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「あの日もバンダナを巻いて、大掃除のお手伝いをしていました。夫が“頑張ってるね”と声をかけると、はしゃぐように笑顔を見せて」

 そのときの笑顔が、絵の中のにいなちゃんと重なった。

 泰子さん、礼くん、みきおさんの姿も、まぶたに浮かんだ。みんなが笑っていた。

「このとき、ふっと心が動きました。このままじゃいけないって。もちろん、ドラマみたいに、すぐに立ち直るなんてできなかった。でも、私がどん底にいたら、家族が悲しむ。そのことを、現実として、感じられるようになりました」

 事件から1年後、港区の新居に引っ越してからは、上智大学などで死生学を学びながら、社会活動にも視野を広げ、地域の小学校の図書館でも働き始めた。

 少しずつ、日常を取り戻しながら、絵本づくりにもとりかかった。

「マスコミが伝える、“かわいそうな家族”ではない、幸せな妹一家の姿を、残しておきたかったんです」

 主人公は『ミシュカ』

 にいなちゃん、礼くんが大事にしていた、クマのぬいぐるみだ。

 物語を紡ぐうち、心が温かくなるのを感じた。

「4人の死を、受け止められたというか」

 臨床心理士で、後述する『ミシュカの森』の主要メンバー・倉石聡子さんが話す。

「入江さんは、にいなちゃんの絵から、メッセージを受け取り、絵本を書くことで喪失感から回復していったのではないでしょうか。回復のきっかけを探していたタイミングで、にいなちゃんの絵と出会えたことにも、運命的なものを感じます」

 文章と絵、両方に思いを込めて手がけた作品は、2006年、4人の七回忌に、『ずっとつながってるよこぐまのミシュカのおはなし』(くもん出版)として出版された。

2006年『ずっとつながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』(くもん出版)の上梓を機に、『世田谷事件』の被害者遺族であることを公表。「励まされた」と多くの反響があった
2006年『ずっとつながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』(くもん出版)の上梓を機に、『世田谷事件』の被害者遺族であることを公表。「励まされた」と多くの反響があった

 これを機に、『世田谷事件』の被害者遺族であることも公表した。

「とても勇気がいりましたが、大学に入学した息子が、友達にカミングアウトしたことや、世間体を気にしていた母が体調を崩し、世間の目どころではなくなったことも、公表に踏み切れた理由です」

 ペンネームは、『入江杏』。名づけ親は、息子だ。

「にいな『NINA』と、礼『REI』、2人のアルファベットを入れ替えて、『IRIE・ANN』はどう? って。とても気に入っています。絵本のタイトルも、息子がつけてくれました」

 絵本は反響を呼び、多くの人の心をとらえた。

 出版に携わった、元くもん出版の田中康彦さん(65)が話す。

最初に絵本を読んだとき、妹さん一家の楽しい日常と、突然の別れを、ミシュカを通してやさしく表現されていることにホッとしたのを覚えています。

 私自身、すでに妻を見送っていたので、“これからもずっとつながっている。忘れないよ”というメッセージに、とても共感しました」

 読者から届く手紙の中には、『池田小学校事件』(2001年・大阪教育大学附属池田小学校で起きた、無差別殺傷事件)で姉を亡くした女の子からのものもあった。

「“心の支えになった”と感想をもらって、私のほうが励まされました。そのころから、人とのつながりが広がって、被害者遺族として、自分に役割があることにも気づけたように思います」