2人の女性

 数々の浮名も流した星野さんだが、現役時代から支えてくれた妻の扶沙子さんを'97年1月に白血病で亡くしている。葬儀では誰はばかることなく涙を流した。

「普段は“もっと優しくしたら?”と思うくらい亭主関白でしたけど、かけがえのない人だったんでしょう。

 奥さまが言ったことには必ず耳を傾けるし、そのときは“うるさい、黙っとれ”って一蹴しても、ずっと心の中で奥さまの言葉がこだましている感じで、結局聞いちゃうんです。“あいつに反対されたからやめよう”と決断を翻すこともありました」(星野家に近しい人)

北島三郎芸道45周年パーティーで。交流範囲は広かった('06年)
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 記者を大事にする星野さんだったが、彼らからも扶沙子さんは人気があった。

「試合が終わった夜遅くに監督の家に取材に行くと奥さまがカレーやチャーハンなどを夜食にふるまってくださった。本当に夫に尽くしている感じでしたね。

 奥さまが亡くなったときは、ご遺体とずっと添い寝していたそうです。亡くなった日は仕事があって出かけなければならなかったんですが、出発時間ギリギリまで髪をなでてずっと話しかけていたんだとか。それだけ彼女を愛していたということですよね」(元スポーツ紙記者)

 再婚のうわさは何度も出ていたが結局、最後までひとり身を貫いたのも夫人への思いがあったからかもしれない。

 だが、決して表に出ることのない、彼を支えたもう1人の女性の存在があったという。

「仙ちゃんのすべてをみていたのがMママ。10歳ほど年上なんだけど、ほかの女性も嫉妬するくらい“ママ、ママ”って慕っていたね」(高山氏)

 資産家の令嬢だったというMさんは、星野さんと住むために都内にマンションも購入するほど。しかし、4〜5年前にこの世を去ったという。

「とにかく女傑という言葉がぴったり。政界から財界からとにかく人脈がすごいんよ。仙ちゃんがいろいろトラブルに巻き込まれたときも、僕とMママで行って片づけたりしたもんね。

 阪神の監督を辞めたあと、警備会社や製薬会社のコマーシャルを持ってきたのも全部ママの仕事。社長に直接電話して、“仙ちゃんをよろしく”って頼んでたもんね」(高山氏)

 日ごろから「俺は思うように生きてきたからのお」と口ぐせのように話していた星野さん。

 合掌。