社会現象になったユニットnWo

 当時、新日本と契約していたアメリカのプロレス団体、WCWに学ぶため蝶野は再びアメリカに渡る。そのWCWには、当時、ベビーフェイスからヒールに転向した人気レスラーのハルク・ホーガンが率いる反体制派のnWoという不良ユニットの人気が急上昇していた。ニューワールドオーダー、新しい世界の秩序という意味だ。蝶野は、そのユニットの日本支部nWo JAPANを立ち上げ、グレート・ムタ(ヒール時の武藤)など個性的な選手を着々と勧誘し、新日本のなかで勢力を伸ばしていった。

「当初、現場を仕切っていた長州さんは、日本では無理だと反対したそうです。けれども、絶対に成功してみせるから、と。蝶野さんのすごいところは、本家のアメリカを超える大ブームを日本で起こしたことです。渋谷を歩いていれば1時間に10人はnWoTシャツを着た人とすれ違うほどバカ売れ。nWoの理念やデザインがプロレスを超えて社会現象にもなりました。一選手が海外からユニットを持ち込み、プロデュースするなんて、前代未聞だったんです」(金沢さん)

 カッコいいヒール、ユニットの輸入に続いて次の「はじめて」は、ファッションブランドの立ち上げだった。

「首のケガで休場しているとき、マルティナと話し合ったんだ。いつまで選手を続けられるかわからないし、夫婦で次の人生の準備をしようと。彼女のデザインは評判がよかったし、将来や生きがいも考えてあげたい。当時、うちは子どももいなかったから。ベンツが欲しかったんだけど、そのお金を有意義に使おうと」

 ブランド名、アリストトリストとは「アリスト(上流)」と「トリスターノ(庶民)」の造語で、フォーマルもカジュアルも、そして老若男女、「分け隔てがない」という意味だ。海外で偏見と闘ってきた蝶野と、日本で暮らすドイツ出身のマルティナさんの信念でもある。

 蝶野のコスチューム同様、ブランドのイメージは黒。「黒はパワーを与えてくれる色。誰ものパーソナリティーを強くしてくれる力を持っています」とマルティナさん。蝶野のいちばんそばにいて、その弱さも知るからこそ、黒を身につけてほしかったのかもしれない。

蝶野がプロデュースし、マルティナさんがデザインを手掛けるファッションブランド・アリストトリスト店内。服やサングラスといったアイテムが並ぶ 撮影/森田晃博 アリストトリスト(http://www.aristrist.com/)
蝶野がプロデュースし、マルティナさんがデザインを手掛けるファッションブランド・アリストトリスト店内。服やサングラスといったアイテムが並ぶ 撮影/森田晃博 アリストトリスト(http://www.aristrist.com/
すべての写真を見る

 リングの中でも外でも快進撃を続ける蝶野。しかし、切磋琢磨しあった闘魂三銃士は、いつしか違う道を歩み始めた。全日本プロレスに移籍した武藤選手、新団体ZERO−ONEを旗揚げした橋本選手、いちばん帰属意識が低かったはずの蝶野だけが、新日本に残っていた。しかし、本当の別れは突然、やってきた。2005年、橋本選手が脳幹出血で突然、亡くなったのだ。まだ40歳だった。