満島ひかり

《このたび、満島ひかりが弊社の所属を離れ、フリーとして活動をしてゆくことになりましたことをお知らせいたします》

 3月1日、所属事務所『ユマニテ』から独立し、今後はフリーランスとして活動することになった女優・満島ひかり。公式サイトに掲載されたこの決意表明の中には、事務所の判断として、

《すべて自分の責任のもと自由に独りでやってみたいという本人の意思を尊重することにいたしました》

 こう書かれているのだが、'97年に沖縄アクターズスクールのメンバーで構成された7人組ユニット『Folder』として歌手デビューしたときから、満島の“我の強さ”は群を抜いていたと、ある芸能プロ関係者は話す。

「Folderが活動休止状態になった際、アイドル歌手として目が出ていたAKINA以外は期待がかけられておらず、自然と芸能界引退の流れになったそうです。

 しかし満島だけは、“私は女優になる!”と自分の意見を押し通して東京に残り、努力を続けた結果、現在の人気女優の地位まで上りつめたんです」

 '09年にユマニテに移籍し、映画『愛のむきだし』に出演したことで女優としての評価が急上昇。映画やドラマのオファーが殺到するようになった。しかし、同事務所に入ってから、ずっと二人三脚で歩んできた女性マネージャーAさんが辞めてしまったことが、満島にとって大きな転機だった。

信頼していたAさんが、'14年の暮れに満島さんの弟で俳優の満島真之介さんと結婚したのを機に、ユマニテを退所してしまったんです。

 それから約3年間で、彼女のマネージャーは3人代わったのですが、結局独立することに……。事務所との関係がうまくいってなかったのかもしれません」(テレビ局関係者)

 今回の独立は事務所との折り合いがつかなかった結果だという声もあるが、実際は“とある俳優”の影響が独立に至るきっかけになったのだという。

「満島さんは、過去に何度か共演していた森山未來さんと'13年にミュージカル『100万回生きたねこ』で再共演したのですが、このころから、彼の影響を受け始めたんです。

 当時から森山さんは、企画書を自分で見て仕事を受けるスタイルを確立していました。満島さんもその姿を見て、事務所に仕事を決められるのではなくて、自分で仕事を受けるかどうかの判断をしたいと思うようになったそうです」(芸能プロ関係者)

 '16年に森山が、所属事務所を退社してフリーになったことも、満島を突き動かした理由になったのかもしれない。

独立後の森山さんは、ダンス公演や舞台を中心に活動しています。'13年に文化交流使としてイスラエルに1年間のダンス留学が決定したときも、満島さんはうらやましがっていたと聞いています。

 もともとは彼女もダンスが得意ですし、自由に活動している森山さんを近くで見たことで、フリーになりたいと思い始めたんでしょうね」(同・芸能プロ関係者)

 独立しても、満島の輝く姿を見ることは、きっとできるはず!