沖縄県民から手厚い歓迎を受ける理由は、同県に対して両陛下が強い思い入れをお持ちであることに起因する。

沖縄県が本土復帰した3年後に初めて訪問した皇太子時代のご夫妻は「ひめゆりの塔」で献花された('75年7月)
沖縄県が本土復帰した3年後に初めて訪問した皇太子時代のご夫妻は「ひめゆりの塔」で献花された('75年7月)
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「沖縄県は、太平洋戦争末期に激しい戦火にさらされたところでもあり、一般人も含め約20万人が亡くなった場所です。

 初めて同県を訪問されたのは、沖縄が本土復帰を果たした3年後の'75年に開かれた“沖縄海洋博”の開会式出席のためでした」

 そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。

 皇太子ご夫妻時代に初めて同県を訪問されたときには、多くの人が知る“ひめゆりの塔事件”が起こった。

'75年は、遺族の方々も多く存命しておられたので、複雑な感情がまだ残っている時代でしたが、おふたりは“たとえ石を投げられてもいい”と沖縄入りをされたのです。そんな中、現地女学生のための慰霊塔である“ひめゆりの塔”で献花された際、過激派が火炎瓶を投げ込みました。

 美智子さまも足に傷を負われ、今では考えられない事件だったので、沖縄ご訪問の歴史の中でも印象に残っている出来事です」(渡邉さん)

 その夜、当時、皇太子だった陛下は“異例”ともいえる沖縄への思いをつづった「談話」も公表された。

《払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々の長い年月をかけてこれを記憶し、ひとりひとり深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません》

 このときの出来事が、両陛下が現在も続けられている国内外への“慰霊の旅”の原点なのかもしれない。

“過密スケジュール”を懸念する声も

 その一方で、今回の沖縄訪問は、おふたりへの「ご負担が大きい」と話すのは、別の皇室ジャーナリスト。