昨今、特に東京では、駅構内のポスターや地下鉄車内のトレインチャンネルなどでこのマークを目にする機会が増えてきている。とはいうものの、認知度がまだそれほど高くない点が課題だ。

 事実、前出・東京都福祉保健局の島倉さんも、「私どもに来るご意見などを見ても、ヘルプマークを持っている方からの、“一般の人への認知がまだまだ足りていない”との声が多い」と語っている。

 こんなヘルプマークの普及に、余命宣告を受けながらも懸命に取り組んでいる女性がいる。名古屋を拠点に普及活動を続けている、小崎麻莉絵さん(34)がその人だ。

出かけるときには、ヘルプマークをつけたバッグを持って。座席に座ってヘルプマークを裏返せば、周囲の理解を得ることができる
出かけるときには、ヘルプマークをつけたバッグを持って。座席に座ってヘルプマークを裏返せば、周囲の理解を得ることができる
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 黒のスーツが実によく似合う。バッグにつけたヘルプマークを見ることなしに、彼女が難病を抱えているとは、誰も想像できないだろう。

 すべての始まりは、2014年、7月初旬のことだった。自動車販売会社勤務やレストラン検索サイトの営業職などを経て、愛知県名古屋市にホームページの制作会社を設立した小崎さんは、自営となって以来、すっかりごぶさたしていた健康診断を受けてみようと思い立った。

 小崎さんが言う。

「会社員をしていると、1年に1回、かならず健康診断がありますよね。でも自営になると、そういう発想はなかなか持てません。

 それで久々に病院に出かけて検査を受けて、その3日後ぐらいだったかな、病院から“血小板とヘモグロビンの数値がおかしい。総合病院で検査を受けてください”という電話をいただいたんです

 今から思えば、異常を思わせる出来事はたびたびあった。電車で立っていて意識を失い、気がつくと知らない人のカバンの上に倒れ込んでいた。だが、すぐに意識を取り戻すことができた。

「だから、“疲れが出たか、飲みすぎたのかなあ”と思っていました」

 彼女は、この緊急連絡を2週間も無視してしまう。7月下旬、危機感などさらさらない状態で出かけた総合病院で、初めて事態の深刻さを自覚する。

「その日に“今日から入院してください”と。“だったら仕事の案配だけとってきていいですか?”と聞くと“ダメです”。“入院に必要なものを取りに行きたい”と言っても、“それもダメ”。そこで初めて、“そんなにひどいんだ……”と自覚しました」