3・11に福島原発に近い危機的状況だった東海第二原発
3・11に福島原発に近い危機的状況だった東海第二原発
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 福島原発に対する国の事故対応は支離滅裂、泥縄式というものでした。住民の保護より原発政策の維持を優先して、住民を放射線のなかに野ざらしにした。そのうえ、事故からわずか3か月もたたないうちに「安全宣言」を出した。

 飯館村なんかまだ避難を終えていない、事故の原因究明も、検証もされていないうちにですよ。だから事故が起きるんです。目先の利益のため、最悪のケースを想定しない国に原発を持つ資格はない。やめるべきだと思いましたし、福島原発の事故以来、堂々とそう言い続けてきました。

 とはいえ、原発がなくなれば地域が立ち行かなくなるんじゃないか? そうした意見はよくありますし、メディアからもよく聞かれますが、私はそうは思いません。むしろ原発は地域振興にならない。安易に入ってくる金は、町や人をだめにしてしまう。

 原発は国策として、カネと機動隊の力によって、全国に54基も建てられてきました。東海村の場合、原子力の研究施設を置くという話に原発がくっついてきたので、少し事情が異なりますが、原発が地域に貢献しないという本質の部分は変わりません。

 雇用を生むといっても、運営会社が雇う人数は限定的。3次下請けあたりまでは東京に本社がある会社から、そこの社員が派遣されてきたりしている。それに、地域経済が活性化するというなら、原発銀座に居並ぶシャッター商店街をどう説明できるのか。

 例えば福井県小浜市は、原発立地計画が何度も立ちあがっては阻止してきたけれど、食の文化を大事にする歴史があり、地域の伝統産業も盛んです。敦賀原発のある敦賀市は越前市と人口が同じくらいなのに、工業製品の出荷量は越前市のほうが4倍も多い。原発があるからといって町が活性化しているわけではありません。

 福島県双葉町の井戸川元町長は、原発事故のあと、「町を追われて、よその町に来てみたら、文化施設も建物も何も変わらない。原発がなくても同じだった」と話していました。

 自然エネルギーの世界的潮流に日本は乗り遅れている状況ですが、発送電分離が進み、電力自由化が定着すれば、原発頼みの町づくりから転換しなければなりません。そのときは、いずれ必ず訪れるのです。

※地名の間違いを修正しました(2018年4月24日)