その3か月前、「万一の事故のときどうやって逃げるか、いちばんの不安だ」と訴えた上関町議の清水敏保さんに、経産省資源エネルギー庁の役人は、こう答えている。

「避難計画は原発ができてから、地元のほうで結ぶもの」

 国も事業者も関知しない、と聞こえる。その状況で原発を進めようとしていたのだ。

 中電が埋め立て工事を「一時中断」したのは3月15日。山口県知事や上関町長の強い要請を受け、ようやくだった。

 それでも原発の新設計画はなくならない。その漁業補償をめぐり、祝島支店の組合員は'12年2月、また採決を迫られた。結果は、受け取り拒否。2度と補償金の話はしないことも決議した。

普通のおばちゃんだからできる闘い

 ところが'13年2月、本店が「漁業補償金について」の集会を招集し、採決の結果、受け取り「賛成」多数となったと伝えられた。

「『賛成』が勝つまでやるんじゃから、どうもならん」と憤る50代の女性は、しかし気持ちは負けていなかった。

 祝島の人は普通のおじちゃん、おばちゃんだ。難しい言葉を巧みに使う人が現れて、専門用語を言ってもわからない。一方で、言葉に偏重しない情報の収集・分析力がある。

 風や潮を読み海とともに生きる暮らしや、乳児・高齢者・動植物をケアする経験から培うのだろう。だから言葉にだまされにくい。

 例えば漁業補償の問題は、語られる難しい言葉はわからなくても、語り手の「死んだ魚のような目」(50代女性)などから「何かオカシイ」と感知する。抗いは、そこから始まるのだ。

 翌3月、祝島支店の過半数の正組合員31人は「補償金は受け取らない」と1人1枚の書面で表明し、押印して本店へ提出。

「あれから私も県漁協の定款規約を勉強した。請求しても集会前には規約は交付されなかったが、読むと、あの集会で本店が、規約に反して議長の決め方に介入したことがわかった」(清水さん)

 本店に協力的な人が議長に就く流れができ、あの採決に至ったのだ。原発推進側は、強行突破で既成事実化を進め、抗う人々をあきらめさせて事後承認させようとしていた。