さらに、騒動のおかげで軍団の面々への出演オファーが相次いだことに、

「軍団バブルになっちゃって。事務所としちゃあ、ウソでも揉めるべき。こんなに仕事が忙しいことはないもん」「20何年ぶりだって、記者に追いかけられたのは。記者に“うるさい!”って言うのが夢だったと泣いているヤツもいた」

当記事は「日刊大衆」(運営:双葉社)の提供記事です
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 などと漫談さながらに、得意の毒ガストークを展開。

「3日に出席した都内のイベントの最後には、“私も新しい一歩を踏み出しました。今月からまた頑張っているので仕事をください”と集まった取材陣に頭を下げたかと思ったら、“あ、そんなことないな。忙しくしてるから、仕事よこさないでください”と言って、現場をドッと沸かせました」(ワイドショー関係者)

 これまでに何度か訪れた窮地においても、やはり、たけしを救ったのは笑いだった。最大のピンチは、なんといっても、瀕死の重傷を負った94年8月のバイク事故だろう。

「あの事故で、オフィス北野は収入源を断たれたうえに、膨大なCMの違約金も発生し、事務所は資金繰りに追われました」(お笑い関係者)

7か月後に復帰を果たしたが、当初は視聴率も振るわず、「たけしの時代は終わった」ともささやかれたが、そこから怒濤の勢いで映画界での世界的評価を高めていき、98年の『HANA-BI』で、ベネチア映画祭グランプリを獲得。

「帰国時の会見で、“金の獅子像を見せてください”と言われ、“これなんですけど”と、3500リラ(当時280円)のショボいお土産用トロフィーを出して爆笑をさらいました。“いい賞はいっぱい欲しい。そこから落ちるのが一番面白い”というたけしが、しっかり笑いでリベンジを果たしたんです」(渡邊氏)

5億の借金をも笑いで切り抜けたさんま

 もっとストレートに笑いで逆境をはねのけたのは、さんまだろう。昨年8月発表の「タレントイメージ調査」(ビデオリサーチ)で、1位に返り咲き、その根強い人気ぶりを証明したが、そんなさんまも、実は窮地に追い込まれたことがある。

「89年、自身を国民的スターに押し上げた『オレたちひょうきん族』が終了すると、ダウンタウンやウッチャンナンチャンの台頭もあり、5年連続1位だったNHKの好きなタレント調査でトップ陥落。人気にかげりが見え、レギュラー番組は2本にまで激減しました」(テレビ誌記者)

 そんなさんまが息を吹き返すのは92年。88年に結婚した女優・大竹しのぶとの離婚がきっかけだった。