悪化する症状に「不安」が募り

 2011年のクリスマスイブに開かれるディナーショーが5日後に迫ったその日、秀樹は体調の異変を感じて、リハーサルを早めに切り上げ、慶應病院に向かった。

 ここは'03年に脳梗塞を治療してもらった病院だが、

「まさか……。ずっと食事にも気をつけてきたし、再発はありえない」

 一瞬頭をよぎった「脳梗塞再発」の恐怖を、秀樹は必死に振り払った。MRIの画像に異常は認められなかったものの、ふらつく様子を見て、医師は念のために入院することをすすめた。

「ところがその夜、トイレに立とうとベッドを降りようとしたら、脚から崩れ落ち、翌朝にはもう起き上がることも難しかった」

 脳梗塞の再発だった。

 前日に引き続き、再度MRI検査を受けると、今度は明らかな異常が見られた。

「リハーサルの時は風邪だと思って念のために病院に行きましたから。まさか脳梗塞とは考えてもみませんでした」 

 デビュー以来、秀樹の一挙手一投足を見つめてきた中田葉子(ファンクラブ会長)も思わず、声を詰まらせた。

 ディナーショーは中止となり、中田はチケットを予約したファン全員へのお詫びの電話に追われた。

《また言葉が出にくくなってしまうのか。またあの屈辱的なリハビリを繰り返すのか》

 そしてなにより、同じ脳梗塞でまた倒れたことが悔しかった。秀樹は、心の中で己の人生を呪った。

 初めて脳梗塞を起こしたのは、2003年6月3日。ディナーショー出演のために、韓国の済州島のホテルを訪れていたときだ。

 サウナで汗を流し、部屋に戻ると強烈な眠気とだるさに襲われた。翌朝目が覚め鏡を見ると、左の頬が右側に比べて少し下がっていることに気づいた。

 同行していたマネジャーもろれつが回っていない様子を見て、あわてて日本の医師に電話を入れた。

脳梗塞の疑いがありますね。一刻も早く病院に行ってください

 いったい何が起こったのか秀樹にはわからなかった。そんなことより数時間後に始まるディナーショーのことが気がかりだった。

 秀樹は、この日予定していた楽曲から急きょ熱唱型やリズムの激しい曲をはずして乗り切ると、翌日、早い便で帰国し慶應病院に駆けつけた。

 診断は「ラクナ梗塞」。

 脳内の細い血管が狭くなって血流が悪くなる脳血栓症のひとつである。

 大きな血の塊が脳まで流れてきて突然、血栓を詰まらせる「塞栓性脳梗塞」に比べ梗塞が小さいので、急激に病状が悪化したり、命に関わることはないものの、脳の内部が少しずつ腫れてくる。入院して5日後、病状は悪化し、不安は募るばかりだった。

《しかし、なぜ俺なんだ》

 不自由な身体をじっとベッドに横たえていると、その言葉が何度も頭に浮かんでは消えていく。

「バランスのよい食事を心がけ、子どもが生まれてからはタバコもやめていたのに、なぜなんだと思ったよ」

 だが、原因ははっきりしていた。西城秀樹らしい情熱的なステージを見せるために続けてきた激しいトレーニングと、181センチ、68キロの体形を維持するためのダイエットが、秀樹の血管を少しずつむしばんでいた。