「神様」が与えてくれた時間

 前述したように、2度目の脳梗塞は、初期症状こそ最初の時より軽かったが、後遺症はずっと重かった。

 考えたことを伝えようとしても、唇や舌がしびれて自由に動かせない。ろれつが回らなくなる「構音障害」と呼ばれる症状である。

 そのうえ、1度目では経験しなかった右側の手足を自由に動かすことができない「運動障害」にも悩まされた。

 慶應病院を退院して、河北リハビリテーション病院に入院すると、本格的なリハビリが始まった。

一番つらかったのは、ほかの入院患者さんたちと一緒にリハビリのメニューをこなさなければならなかったこと。覚悟はしてたけどリハビリルームに行くと、好奇心いっぱいの目で見られる。その視線が僕の身体に突き刺さるようでたまらなかった

 しかもリハビリの内容が気に入らなかった。

「マヒしている右手の機能を回復させるため、ボールを持ち上げる、おはじきをする、お金をつかむといった子どもじみたことばかり。しかも、言われたことがまったくできないんだ。自分は幼稚園児以下なのか、と思って落ち込んだよ」

 消灯時間が過ぎ、ひとりで暗闇に横たわっているとマイナスのことしか考えられない。夜の闇が、果てしない底なし沼へと引きずっていく。

「これが脳梗塞を起こした人の大半が経験するうつ症状。そこから抜け出すには、手や指先に神経を集中させ、課題を何度も繰り返しできるようになるしかなかった」

 秀樹は暗闇に引き込まれてゆく恐怖と闘いながら、懸命にリハビリに励んだ。

 2012年の1月下旬、秀樹は病院を退院して自宅に戻り、家族そろっての生活が再び始まった。すると、自分の心に心境の変化が訪れていることに気がついた。

病気のせいで仕事を減らしてリハビリに励んでいると、今まではそんな自分がもどかしかった。でも成長期の子どもたちと過ごす貴重な時間を神様から与えられた、と考えるようになったら、家庭での生活が、がぜん楽しくなってきた

 秀樹には3人の子どもがいる。結婚1年後に生まれた長女・莉子。翌年の長男・慎之介、さらにその次の年に授かった次男・悠天だ。

2002年6月、47歳にして父親に。1年後、脳梗塞に倒れるが、家族の存在が支えになった
2002年6月、47歳にして父親に。1年後、脳梗塞に倒れるが、家族の存在が支えになった
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 子どもたちと密にふれ合ううちに、秀樹は子どもたちが秀樹の成長を促し見守っていることにも気がついた。

父親が病気を抱えていることで、子どもたちがよりやさしい人間に育ってくれるような気さえ、今はしています

 仕事に復帰したのは、2012年1月28日、静岡県で行われたチャリティーコンサート。発症から、わずか1か月後のことだった。