「秀樹はとにかくサウナが大好きで、1日に何度も行ってました。それも水を飲まないでギリギリまで汗を絞り切る。汗を出すことで気分が爽快になっても体力は使っていますからね。最初に脳梗塞で倒れたのも、サウナに入りすぎたからだったのかも……」

 西城秀樹さんと常に行動をともにしていたあるスタッフは、彼の常識破りな生活習慣をこのように語る。

 当時、西城さんのステージ衣装を担当していた塚田伸夫氏の話もすさまじい。

「出会ったのは秀樹が16歳のときでした。西麻布で僕の車に乗せてあげたら、デビューもしてない子が“僕のこと大事にしてくださいね”って言うんです。びっくりしたね。“僕は絶対、スーパースターになりますから”って宣言したんですよ。自信家なわけじゃなくて、ものすごく負けず嫌いだったんですね」

 GSブームが終わり、当時の人気者は伊丹幸雄だった。塚田氏はセーラーファッションの伊丹に対抗して、西城さんの衣装をプロデュースした。

「野口五郎さんはスーツ、郷ひろみさんは坊やファッションでしたから、秀樹はソウルのイメージで衣装を作って売り出したんです。でも、伊丹さんと一緒に出演しても拍手の数が違いました。観客の様子を見て、“幸雄さんは拍手がすごかった。俺はまだまだ。幸雄さんファンが6割、俺は3割だな”なんて自分で分析していました。終わると、次の演出などをスタッフと一緒に考えていましたよ」(塚田氏)

 多くの女性から注目されていたが、すでにこのころからモテモテだったという。

「ご飯とかにはよく連れて行ったんだけど、“秀樹と食事に行くよ”って言うと、女の子がみんなついてきました。ご飯を食べて、その後、周りは“女の子と飲みに行くぞ”って言うので、秀樹には“もう帰っていいよ”と言っていました。

 でも、そのうち彼も学習して“その手には乗りません。明日休みなんです”って一緒に来るようになりました。そうすると、女の子はみんな秀樹のほうに行っちゃいましたね(笑)」(塚田氏)

 代表曲『ギャランドゥ』をめぐっては不思議な話が。

「なぜかおへその毛を表す言葉になったんですよね。本当は作詞したもんたよしのりさんが、その場で考えた歌詞“Gal&Do”という言葉がはじまりです。“魅力(Dо)のある女性(Gal)”という意味です。

 でも、あるとき、松任谷由実さんがラジオ番組で、西城さんの写真集を見ていたとき、彼のおへそのまわりの毛を見て、おもしろおかしく“ギャランドゥ”と言ったことが発端になり、またたく間に広がったそうです。もっとも、彼はギャランドゥという言葉を流行らそうとしていたみたいですから、結果的によかったのかもしれませんけどね(笑)」(芸能プロ関係者)

 “YOUNG”時代から数々の伝説を残してきた。そのひとつひとつがこれからも、多くの人たちを“感激”させてくれるに違いない!