はらだ有彩=著『日本のヤバい女の子』(柏書房)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします
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 と、ここまで考えて気が滅入ってきた。そもそも、おかめが高次を助けたことが「全く恥ずかしくない出来事」であればいま考えたようなサスペンスは成立しない。

 どれだけ推理を重ねても、「女にアドバイスを受けたこと=恥」という背景が全ての原因だ。女は男より秀でてはいけない。男は女に助けられてはいけない。

 おかめに、高次に、重くのしかかっていた暗黙の設定は彼女たちの時代には覆せないものだった。だからおかめにとって自分の死は大きな意味と必然性があったのだ。だけど数百年という時間が流れ、暗黙の設定が変化していくなかで、その意味と必然性は薄れていった。

 ただし、薄れたとはいえ、暗黙の設定はいまの私たちにも作用している。冒頭で「現代に暮らす私はおかめの死に納得できないし、彼女の不自由さ、生きづらさが理解できない」と書いたけれど、その一方で、わかるとも思う。わかる。少しわかる。とてもわかる。

女性にのしかかかる抑圧の壁

 インターネットに、本屋に、ハリウッド・スターのスピーチに。ニュートラルで現代的で勇気づけられる言葉は私たちの周りにたくさんある。それらはいつもエンパワメントをもたらし、新鮮な共感に満ちている。

 私たちにできないことは何もないし、言えないことも何もない。誰もが適切なタイミングで怒ることができるし、意見を主張することもできる、はずである。はずではあるが、一方、暮らしの中ではときどき、驚くほど馬鹿馬鹿しいシチュエーションにぶちあたる。

 例えば、仕事場にいる気のいいおじさんが世間話のはずみに「早く帰ってごはん作らないと」とか「仕事熱心なのはいいけど、彼氏、怒らないの?」と言う。同期入社の男の子に転職の相談をすると「女の子は好きな仕事しといた方がいいよ」とアドバイスを受ける。

 自分で選んで取り入れる情報ではない、ふと遭遇するこれらの言葉に対して(ちょっと変な感じだな)と思ったとして、そして自分の感覚が間違ってないと確信できたとして、情や諦めやその他の面倒な気持ちによって、さっと流してしまうことが、毎日の暮らしでは頻繁に起こるのだ。

 こんな気さくな抑圧は時代に合わせて少しずつマシになり、将来的にはなくなっていくかもしれない。だけど、おかめは時代が変わるのを待たずに亡くなった。