まして、「昨年ノーベル物理学賞をとった人の本を読んだんだけど、科学の今後についていろいろ考えさせられたんだよ」というようなことを語ろうものなら、完全に浮いてしまうだろう。

「2100年になると、日本の人口が5060万人になるというけど、そのとき、日本の行政区域は今のままでいいのだろうか」「あなたは憲法改正についてどのように考えている?」などという、教養に裏付けされたような話、未来の話、時事的な話は一切ない。

「嫉妬」と「後悔」の話もつまらない

 もう一つ、老いも若きも多いのが、「嫉妬(ジェラシー)」と「後悔」の話。とくに高齢者のジェラシーほど憐れなものなはない。そもそも人間として実にみっともない。

「お前、まだ仕事をしているのか」などは、序の口。「昔から、お前は調子がいい奴だったからな」と、成功した人を皮肉ったり、有名になった友人に、意地の悪い視線を送ったりする。

 あるいは、勲章をもらった仲間に、わざわざ「中学の頃は、出来が悪かったのになあ。お前が勲章か。勲章と言っても大したもんじゃあないね」などと、言わずもがなの嫌味を言ったりする様子を眺めていると、気の毒な人、負け犬の遠吠えだと憐憫さえ感じる。

 そういう人たちの集まりには、若い頃の陽気さも軽やかさもなく、不快な思いだけが心のなかに沈着する。帰路は足だけでなく心も重い。

 確かに50歳を過ぎ、60歳、70歳ともなれば、人生に大きな差が出てくる。自分の人生がどのようなものか見えてくるから、仕方がないのかもしれない。だが、嫉妬と意地悪さと皮肉が渦巻くのを見ていて、気持ちのいいはずがない。

 だから50歳を過ぎたら、今までの友人との縁を徐々に整理しはじめたほうがいい。70歳になったら、「古い友人」とは出来るだけ縁を切って、「新しい友人」への切り替えを完了させたいものだ。

 いつまでも古い友人と飲み会を繰り返し、クダをまき、過去を恨み、同期を妬む。おやめなさいよ。明日のない、希望のない、身の回り半径5メートル以内の話に終始すべきではない。

 だいたい病気の話に終始するような旧友たちは、時代から1歩も2歩も遅れていることが多い。2025年問題も知らないし、2045年問題も知らない。ビッグデータやシンギュラリティも知らない。それでいて、毎日が退屈だとのたまう。なんとも御し難い人たちばかりだ。