一時は聡明で実力的な公務員だった柳瀬唯夫と佐川宣寿はあまりにも権威に目がくらみ、上司を守るために国民の前でウソをつこうとしている。彼らはそのような忠誠心は政府や安倍昭恵夫人ではなく、納税者に向けられるべきだということを忘れてしまった。

 先述のビロリ氏は、日本で最もにぎわう渋谷にある、この見た目は無害の銅像が、我慢ならなかったという。彼はその中に、尊厳の放棄を見たのだ。ハチ公は主人にあまりにも忠実であり、死んでも帰りを待つ犬の伝説は銅像にするのには安っぽすぎると考えたのだ。彼は、日本人にはもっとふさわしい崇拝の対象があるべきだと考えたのである。

タカタや東芝で起きたこと

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 絶対的服従に近い忠誠心は、日本の企業にも見られる。

 たとえば、破綻した自動車部品メーカーのタカタでは複数年にわたって、自社のエアバッグに欠陥があったことを隠し続け、これが多くの人の死につながった。社員たちは自社を守るために、欠陥を報告しなかった。

 不祥事が発覚した後も、トップに辞任を迫ることはなかった。同じく東芝でも、何年にもわたって不正を知っていた社員が問題を指摘することはなかった。

 本来であれば美徳である忠誠心だが、上下関係の元では歪むことがある。そして、日本企業では、忠誠心は長い労働時間や不当な扱い、安い賃金を正当化するものとなっていることが少なくない。

 そうでなければ、人口減による労働力不足がこれだけ問題になっている中で、社員がたとえ過労死しそうな状況であっても、自分の上司に強く立ち向かわない理由を説明できない。

 2013年に200時間を超える時間外労働の末、31歳の若さで亡くなった佐戸未和さんに対して、死後、報道局長特賞を与えるという無神経なことができるはずないのだ。

 一方、こんな歪んだ忠誠心を外国人社員に求めることはできない。たとえば、日本では当たり前の単身赴任を受け入れる外国人はほとんどいない。せっかく外国人を雇っても、日本企業で長く勤められる外国人の数はそう多くない。

 なぜなら、自分の人生を会社に捧げるメリットがほとんどないからだ。

 日本人のハチ公体質は、学校教育で育まれている。日本では、権力に立ち向かうよりは、従うことを教えられがちで、「いい子」は、人と違ったことをしない子だ。生徒たちは、自分で考えるより暗記をすることを求められる。

 一方、フランスではつねに考えられることを求められる。教師たちも、一方的に授業をするのではなく、それぞれ生徒の個性を引き出すような授業に力を入れている。