近年はSNSの充実で、地方からも全国的な人気を獲得するコンテンツが誕生している。これからも確実に地方からスターは生まれ、それらの命は、東京のエンタメ観では見つけられない場所で産声をあげています。そんな輝きや面白さを、いち早く北海道からお届けします(北海道在住フリーライター/乗田綾子)

 これは今から60年前の1958年、ある週刊誌で掲載されていた、記事の見出しです。

「北海道 90年目の新天地 テレビのある熊の王国」(東京新聞社『週刊東京』1958年8月9日号)

 東京タワーの完成に沸く首都・東京からこの記事が発信された時期、遠く離れた北海道でもNHKに続いて、道内初の民放局となる北海道放送(HBC)が放送を開始しました。

地方は東京のおこぼれ

 実は北海道に限らず地方テレビ局の多くは、この1950年代後半~60年代にかけて一斉に放送を開始しています。

 そして国内初のテレビ局・NHKの試験放送開始が1950年、また国内初の民放テレビ局・日本テレビの本放送開始が1953年であることを踏まえると、少なくとも歴史や経験というのは、東京であっても地方であっても、あまり変わらないところから同じようにスタートしていたはずなのです。

 しかし実際にはそれから1970年代、1980年代と時代が進むに従って、特にテレビを中心とした「エンターテイメント」の分野では、東京が最高到達点で地方はそのおこぼれにあずかる場所、という感覚がどんどん広まっていきました。

 今思うとその“格差”の始まりは、国内マスメディアの原産地である「東京での物差しが、そのまま地方にあてられていた」そんな小さなボタンのかけ違いから生まれていたような気がします。

 それこそ北海道であれば、テレビ局ができてもデパートがあっても、街にネオンが煌(きら)めくようになっていても「熊の王国」。

 まだ情報発信がマスメディアに限られていた時代、遠い地方の人がどんなふうに文化を育み、エンターテイメントを楽しんでいたかという独自の物差しは、その後も長年、ご近所の井戸端会議だけで消化され続けていました。

 しかしそんな地方民の生活において、ついに2000年代、あるものが革命を起こします。そう、インターネットの普及です。