父が何げなく言ってきたことが、遺言だったんじゃないかな

 千絵さんは妹の麻理さんと相談し、実家の寺に歌碑を建てたそうだ。

「去年の4月10日、父の誕生日にできました。普通の四角いお墓よりもいいんじゃないかということで、『上を向いて歩こう』の歌詞が彫ってあります。本人は大げさなことが嫌いなので、“こんなもの作っちゃって”と思っているかもしれませんが」

映画エッセイストの千絵さんは、父に似てものを書くことが好きだという
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 とはいえ、永さんの遺志がどうだったのかはわからない。遺言書が見つかっていないからだ。

「父からは“書いた”と聞いていたのですが、なにしろ部屋がひどい状態ですから、まだ出てこないんです(笑)。見つからないのか、そもそもあるのかどうかもわかりません。まぁ、今まで父が私と妹に何げなく言ってきたことが、遺言だったんじゃないかなと思っています。孝雄くんだったらこうなったはずだということで納得しました。遺ったものが納得すればいいというのが、孝雄くんのいちばんの望みだと思います」

 “孝雄くん”というのは、永さんの本名。永家では、父親を“孝雄くん”、母親を“昌子さん”と呼んでいた。

「孫が生まれるかなり前から、うちではそうでしたね。だから、孫も同じように呼んでいました。父は自分のことを一家の“長”であるとは思っていなかったし、“俺がいちばん偉い”みたいなことは1度も言わなかった。母のことをとても大事にしていましたね。母が元気なころは手をつないで歩いていましたし、イメージとしては“昭和の厳格な親父”ではなかったんですよ」