なんとかしようと、もがいていた

 稀勢の里人気の理由を、彼が日本人横綱だからと見る人もいるが、実際にそんなことを恥ずかしげもなく言う人はごく一部だろう。彼は横綱に上がるずっと前から人気の高い力士で、その理由に相撲の面白さだけでなく、その生き様にある。

 史上2番目に若い17歳9か月で十両に上がり、期待の星として注目されて18歳3か月で幕内力士に。そのときに本名の「萩原」という四股名を「稀な勢いで駆け上がる」という意味で「稀勢の里」という名に変えた。

 期待の若手、きっとすぐに横綱に……誰もがそう思ったはずが、そこからが、いばらの道。

 優勝のチャンスを目前にしながら格下の相手に転がされ、「あーあ」と土俵下で落胆の表情を見せる。“ここ一番!”というときになると目をパチパチして頬が紅潮し、素人目にも緊張が分かる。

 メンタルが弱く、それが勝負に響く。さらには父のように慕い尊敬していた親方が2011年に急死して、彼をさらに迷わせた。恐らくメンタル・トレーナーに学んだのだろう、取組直前に花道や土俵下で謎なアルカイック・スマイルを浮かべ、自らに暗示をかけているかのような表情を見受けた時期もあった。

 一生懸命なんとかしようと、もがいていた。

 稀勢の里には高倉健がテレビCMで言った「不器用ですから」をかぶせてみたくなる。歯がゆいほど、うまくやれない。恥ずかしがり屋で愛想もなく、ファン・サービスも滅多にしない。

 それでも持ち前の体躯の良さと抜群の運動神経、そして厳しい稽古で上がってきた。休場イメージがついてしまったが、横綱になるまで、1日しか休んだことがなかった。相撲ファンはそれを知り、理解し、全部ひっくるめて稀勢の里を愛する。

 長年のファンである友人は「ここってときにダメなんだよねぇ」とため息をつきながら、だからこそ応援する。大相撲の世界では昔から勝ち負けに関係なく、キャラクターや個性で愛されることは多い。

 大相撲はスポーツでありながら興行でもあり、愛されキャラは存在するのだ。そういう多様な魅力があるからこその大相撲。ある女性ファンは稀勢の里を「魔性の男」とも呼んだ。