ショックを受ける恩師

「バカすぎる、って話しています。人気球団の名だたるスター選手の道具を転売したわりには“売り上げ”も少なすぎる。熱心なファンにこっそり売りつけるのではなく、最終的に不特定多数に販売される店を選んだ理由がわからない」

 柿澤容疑者は東京・葛飾区の出身。野球を始めたのは小学1年のころで、地元の軟式野球チームに所属していた。

 中学からは鹿児島県の野球強豪校、神村学園に進学。甲子園に春夏合わせて3回出場し、3年の夏はピッチャーで4番打者もつとめチームのベスト16進出に大きく貢献した。

 高校卒業後、楽天に入団し、外野手に転向。2016年オフにトレードで巨人に移籍した。推定年俸は500万円。楽天、巨人を通じて1軍でのプレー経験はなかった。

 前出・スポーツ紙記者は、

「楽天時代から消費者金融に借金を重ねていました。趣味は車。高級外車の維持に金がかかり、今年結婚して家賃、飲食費と出費がかさんでいたようです」と話す。

 前出・全国紙運動部記者は、

「プロは1軍で活躍しなければ意味がないので野球に打ち込むしかないんです。高級外車を乗り回して喜んでいる場合ではない」とプロ意識の低さを指摘した。

 容疑者を知る少年野球の関係者を訪ねると、「素晴らしい選手だったので信じられない」(対戦チームのスタッフ)などと一様に絶句していた。

 神村学園高等部で指導した山本常夫監督(現在は別の私立高の部長)に取材を申し込むと、「山本さんは大きなショックを受けており、気持ちの整理がつかないと話しております」(学校関係者)と本人が出てくることすらなかった。

 プロになる夢を叶えて何が変わったのか。入団当初はまっとうにお金を使っていた。

 柿澤容疑者は救援投手として'12年春のセンバツ甲子園で被災地・宮城の県立石巻工業高校と対戦し、相手打線を封じて勝利を収めた。