当時の様子を、離婚後も近所に住む母親が明かす。

「顔に青タンができたり、肋骨を折られたこともありました。娘が小さいころには“お母さんはどうしてお父さんにそんなに気を遣って話しているの”って言われて……。どこで逆鱗に触れるかわからないからビクビクしてました」

 金遣いも荒く、生活は苦しかった。母親の職場まで来て“金をよこせ”と言ったこともあったという。佐藤さんも両親のケンカを見て不安定に。家庭は壊れていた。

娘が中学1年のときに“パパを捨てていいよ”と言ったことで決意をしました。1か月かけて荷物を運んで、ある朝、“引っ越しするみたいだな”と言うので離婚届を突きつけ“明日出ていきますから判子をください”と言ったんです。判子を押して、黙って仕事に出かけましたよ」(母親)

 3人で住んでいた団地に父親はひとり取り残された。

荒れ果てた台所を掃除すると害虫の死骸も
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 母親が最後に見かけたのは昨年末だったという。

「昔はスラッとして歯もきれいだったけど、みすぼらしくなって歯もボロボロでした。上から目線の態度で、近隣では誰とも付き合いがなかった」

 元夫の死については、

「道で会っても話をすることもなかった。特に未練もありませんが、人間的に優しかったら、横柄でなければ、違う結末があったんじゃないかなと思います。あの死に方は惨めで憐れですよね」(母親)

引き出しから見つかった預金通帳

 だが、佐藤さんは別居後も、数年に1度は父親と会っていた。最後に会ったのは7年前。彼女が初めて出演する舞台を父親が見に来たときだった。

「うれしそうにしてました。定年したらどうするのと聞いたら、“地元には帰らない。死んだら離婚した母の墓に入るんだ”と言ってて。母は離婚した後に再婚してるから入れるわけないんですけどね……。自分勝手な人でした」