ダンス・ダンス・ダンス』が区切り

栗原裕一郎さん 撮影/山田智絵
栗原裕一郎さん 撮影/山田智絵
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「80年代以降」の章を立てたのは、春樹の小説でいえば『ダンス・ダンス・ダンス』が区切りになっているからだという。

「それまでの春樹の主人公は、'60年代的な価値観で'70年代を生きてきたんですが、'80年代にはその価値観は通用しなくなってしまう。春樹は'80年代にMTVで流れていた『ゴミのような大量消費音楽』を徹底的にディスっています。

 ただ、その時代にヒットした音楽が全部ダメというわけでなく、ブルース・スプリングスティーンはホメています。日本で誤解されているようにスプリングスティーンの音楽がアメリカ讃歌ではないことを、春樹は見抜いていたんです」

 ほかにも、ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリー、マイルス・デイヴィスなどさまざまなミュージシャンが登場する。日本人で唯一、取り上げられるのがスガシカオというのもおもしろい。

春樹にとってのビーチ・ボーイズ

 ビーチ・ボーイズも春樹にとって重要なミュージシャンだ。デビュー作『風の歌を聴け』以来、何度となく言及している。

「当時のビーチ・ボーイズは、世間では陽気なサーフィン音楽というイメージでしたが、春樹の作品では常に不吉な予感を伴っています。このバンドに屈折した背景があったことは、'90年代にリーダーのブライアン・ウィルソンが復活を果たすまでは知られていなかった。

 春樹にとっては、ビーチ・ボーイズがそれだけ重要な存在だったんです。彼にとっては、文学と音楽は等価値なんです。日本では極めて稀なタイプの作家だと思います」

 ほかのジャンルの音楽も、春樹作品で重要な役割を果たす。クラシックでは、『1Q84』の冒頭で、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』によって、異界への扉が開かれる。

「このときは、作中に出てくるクラシックの曲を集めたコンピレーションCDが発売されたりしましたね。また、ジャズについては、'70年代にジャズ喫茶のマスターだったこともあり、いちばん思い入れが強いのかもしれません