結婚・出産、事業も順調だが……

 2008年、みどりさんは組織作りのコンサルティングをしている男性と出会い結婚。

 それまで全力で走ってきた反動で、まったく仕事をしない専業主婦になる。埼玉県浦和市のタワーマンションに住み、ひらすら韓流ドラマを見る毎日。それでも、働かない期間は3か月で終了した。

「ダラダラする日々に飽きて、毎日がつまらなくなって仕事を再開しようと思いました。けれど、就職なんてできませんから、フリーでビジネスをすることにしたんです」

 最初に始めたのは、料理教室だった。

「福岡の母親がスパイスを使った料理教室を開いていて、わたしもその料理を教えることができた。だから、やってみようと思いつきました。ところが、準備が大変なわりに収入が少ない。その後、アクセサリーの製作や読者モデルをやった時期もありました」

 ファストファッションのブランディングの仕事を手がけたこともあった。アパレルだったら得意分野だ。企画書を作って提案し、予算を与えられて、そのブランドをコンセプトからリニューアル。目標の売り上げを達成した。

「最初は充実していたし面白かったのですが、ファストファッションの世界は、服を信じられないような安価で買いつけて売りさばき、売れ残った服は大量に棄(す)てるサイクルでした。いったいこの商売は誰を幸せにしているんだろう、と疑問が湧いて“ここは私の人生の時間を使う場所じゃない”と思うようになりました

 大きな転機となったのは、29歳で娘を出産したとき。出産後すぐ、浦和から東京・千駄ヶ谷に引っ越した。

「このままここで子育てをしていたら、自分のキャリアが全部止まると思った。東京に行けば、きっと何かが始められるだろうと考えたんです」

 そうして娘の体調不良をきっかけに「安心」と「美味しい」が両立するお菓子を販売するビジネスと出会い、ようやく「人を幸せにできる本業」を見つけたのだった。

 ブラウンシュガーファーストの事業は順調に拡大。娘もどんどん成長していく。ところが、みどりさんにはモヤモヤした思いが立ち込めていく。ココナッツオイルブームが巻き起こり、テレビ出演するたび電話の嵐。子育てには夫も協力してくれたのだが─。

「夫の仕事も伸び始めた時期でした。自分も夫も事業をやっていると、パートナーというよりライバルみたいになってくる。次第に、夫は私を褒めてくれなくなりました。私は妻の役割を果たせなくなり、夫婦の会話もどんどんなくなった。この商売と子育てだけで手いっぱいになったんですね。母親としては強くなっていくけど、妻の部分が消えていきました」

 みどりさんは、自分の抱える悩みは、いろんな要素が絡み合っていることに気づいた。

「子どもとの時間の作り方、夫婦の関係、親との付き合い方、そして自分の仕事……。それをごちゃまぜにして悩んでいた。全部否定的に考えていたんだけど、冷静に考えれば、肯定できるところは山ほどある。けれど妻の役割だけが問題。これは解決する必要があると整理して考えました」

 結果、彼女が選んだ道は「離婚」だった。 周りをちゃんと納得させながら円満に離婚して次に進むためにはどうすればいいか。考え抜いて、夫にこう言った。

「あなたは人間として尊敬できるし、社会人としても、父親としても素晴らしい。けれども、夫婦としてはいい関係になっていない。あなたのパートナーは私じゃないと思う」

 両親や義理の両親にも、なぜ離婚したいのか、丁寧にプレゼンしたという。

「みんなにとっていちばん大事なのは、娘(孫)の幸せですよね。そしたら、この役割(妻)をはずして、それぞれを尊重し合うことができたら、みんなニコニコだし、助け合えて、その結果、娘も幸せになる。そう説明をするために整理していったわけなんです」

娘には自分で物事を選択させる。左右違う靴をはいて外出しようとしても「個性的でいいね」と否定しない 
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 娘から離婚の報告を受けた美保子さんはこう言った。

「私たちの世代ではありえないことだけど、私は夫婦の状況を知ってたから、“世界中が敵になっても、お母さんとお父さんは、みどりの味方だからね”と言ってあげました」