廃墟魂で閃きプロの壁を突破

 音楽活動とアルバイトに明け暮れた黒沢は、大学を6年かけて卒業するも、肝心な音楽活動では大きな壁にブチ当たっていた。

「基本的な技術をマスターすると、僕たちは本格的に音作りに取り組んでいました。2人がこだわっていたのは、ブラックミュージックの“グルーヴ感”。しかし、どうあがいてもファンクの帝王ジェームス・ブラウンやプリンスのような“グルーヴ感”が出せません」

 2人でプロの音楽家を目指して5年。これが「プロの壁」というものなのか。

 しかし「プロの壁」を突破するヒントは、思わぬところから見つかった。

「音作りと格闘する日々に飽きた僕は、ある日、ふらりとカメラを持って当時両親と住んでいた千葉県市川市の家から自転車で目的もなく江戸川沿いを走って海に向かいました」

 東京湾まで出ると、左手には京葉工業地帯。ふと見ると、その手前に古くなった廃工場が朽ち果て佇(たたず)んでいたのである。

「海を背にして佇む廃工場のうらさびれた光景がなんともいえず、僕は夢中でシャッターを切っていました」

 黒沢の中で、しばらく忘れていた“廃墟魂”がムクムクと甦るのがわかった。

「現像した写真をちゃぶ台の上に置いてしばらく眺めていると、僕の中で閃(ひらめ)くものがありました」

 積み重ねられた廃工場の写真を断片的に切り取り、コラージュしてみた黒沢の中で、その閃きは確信に変わる。

──こんな音楽を作ってみたい!

 2人はさっそく“切り貼り音楽”を10曲ほど作ると、デモテープを十数人の知人らにバラまいた。

「すると老舗書店、有隣堂のランドマーク店オープンに使うCM音楽の制作、創作モダンバレエ団への楽曲提供の仕事が舞い込んできました」

 さらに、そのデモテープを聴いた広告代理店から専属契約を結ぶ話がくるなど、黒沢は30歳を前に音楽シーンで活躍するチャンスを手に入れたのである。