貴乃花親方が「引退」を表明した。もし貴乃花がこのまま相撲協会を去れば、ながらく続いた「花田家」と相撲界の関係は途切れることになる。

 初代若乃花が入門したのが終戦直後の昭和21年。以来72年間、花田家はつねに相撲協会と関わり続けてきた。3横綱1大関が生まれた花田家の“大河ドラマ的相撲物語”もひとまず終幕となる。

 そして花田家を追いかけ、取り上げ続けてきたテレビにとっても長らく「視聴率の取れる存在」だった花田家を失うことになる。

 超人気大関だった貴ノ花の次男・貴花田が、兄・若花田とともに大相撲にデビューしたのは昭和63(1988)年3月の春場所だった。

 その10カ月後に時代は昭和から平成に変わった。

 貴花田は平成元(1989)年11月には早くも十両に昇進、史上最年少の関取となっている。つまり貴乃花親方こと花田光司は、平成の幕開けとともに登場した。そして今、平成の終わりとともに「大相撲」から去ろうとしているのだ。

テレビにとって貴乃花は特別な存在

 その間、テレビにとっても貴乃花は特別な存在だった。

 彼と兄による空前の“若貴ブーム”で国技館はつねに超満員となり、NHKの大相撲中継に高視聴率をもたらした。民放各局のカメラも若貴を追った。ことあるごとに「若貴特番」が組まれ、それらは確実に高い視聴率を獲得した。

 大スターである父と女優だった母・憲子(現芸名・藤田紀子)、そこに“土俵の鬼”と呼ばれた伯父であり相撲協会理事長でもあった初代若乃花も合わせた「花田家」は、あたかも相撲界における“ロイヤルファミリー”のようなイメージを与えていた。

 そしてそのイメージを作ったのもテレビを中心としたメディアだった。

 兄弟そろっての入門時。自宅から「藤島部屋」へ荷物を担いで引っ越す2人に涙を流す母・憲子の姿に、世の中の母親は同じく涙を流した。この時から彼らの一挙手一投足をカメラが撮り続けることになる。