新宿区にはもうひとつ、ホームレスの多い公園があった。JR高田馬場駅に近い都立戸山公園だ。訪ねてみると、10数年前は公園を囲むようにあったテントがひとつも見あたらない。しかし、ホームレスらしき男性がベンチや芝生の上に10人以上いた。

 沖縄県出身で生活保護を受けている金城祐介さん(57・仮名)は、同公園のテントについて「10年ほど前から撤去が始まった」と語る。

「メトロの副都心線が開通して西早稲田駅ができた。近所の人がこの公園を通って西早稲田駅に行くなど通勤・通学ルートが変わったため、テントは禁止されたんだと思う」

 中学校を出て、地元で就職。19歳で結婚を考えたが、父親に反対されて、泣く泣く断念。その後、上京してしばらくは期間工などで働いた。

「まさしくバブル期でね。1か月目は泊まり込みで手取り26万円だった給料が、翌月には38万円になった」

 と金城さん。

 そのあとは東京都町田市の雀荘に勤務。37歳のときに辞めざるをえない状況になり、それを機に戸山公園でテント生活を始めた。

「同じ沖縄出身の年配のホームレスに気を許していてね。42歳のとき、一緒に酒を飲んでいたら妙な言いがかりをつけられ、俺も酔っていたので頭にきてぶん殴ったわけさ。そうしたら、倒れてそのまま死んじゃってね。傷害と過失致死で逮捕されて留置場に入ったの。あとで知ったんだけれど、警察が“あの人は殺されなくても間もなく病気で死んだはず”って言っていた」

戸山公園に毎日来ているという金城さん(仮名)
戸山公園に毎日来ているという金城さん(仮名)
【写真】浄化された街並みと、取材を受けるホームレスの人々

 出所後は生活保護を受けている。

「新大久保の連れ込み宿に入ったら4畳半に2段ベッド2つ。そんなプライバシーもへったくれもないところで宿代と食事代を払ったら1万~2万円しか残らない。それこそ、貧困ビジネスさ。国も都も区もどうかしている。あれが最低限保障されている文化的な生活ですかって」

 と怒りを爆発させる。

 宿を3か月で出て、現在は高田馬場周辺のアパートで生活する。

生活保護受給者はとにかく暇だから、テント生活をしていた当時の仲間が忘れられなくて、懐かしくて、この公園へ毎日来ている。数年前から、ホームレスにはこんな噂(うわさ)が飛び交っています。“五輪直前には立ち退き料として1人あたり50万円が出る”って」

 にわかには信じがたい話だが、彼らなりに東京五輪を意識している証(あかし)だろう。