鏡もほとんど見なかったから、以前より40キロも太っているという自覚がなかった。髪も腰まで伸び放題。鏡を見て、われながらショックだったと裕喜さんは笑う。父が着替えを渡してくれたが、ズボンが上がらない。「何をしたい?」と母に聞かれて「とりあえずやせたい」と答えた。その日から彼は毎晩、母と散歩に出るようになった。

「最初はお腹が邪魔になって、靴のヒモも結べなかった。誰かに見られたらどうしようと思うから帽子にサングラスと完全防備でしたね」

 5分も歩くと身体が痛んだが、少しずつ散歩する距離が延びていった。その間、母とはたわいない会話をしたという。ひきこもりを責められたことは1度もなかった。

 なんとも度量のある母親だと思ったが、実際、母に話を聞くと「いったい、どうしてひきこもったのか、どうして出てきたのかは怖くて聞けなかった」のだという。

「1年くらいは、また戻っちゃうのではないかと薄い氷の上を歩くような気持ちでした」

 目の前の息子だけを見つめ、話をした。哲学や文学の話もした。母は手応えのある話し相手だったようだ。母のすすめでカウンセリングや心理学のセミナーにも行った。

「さてこれからどうしよう、と考えるようになりました。今から大学に行くのも大変。学歴もない。ひきこもったことを生かしたい。そう思ってカウンセラーの講座に通うために東京に戻ったんです」

面接官に目をそらされて開き直った

 27歳のころだった。また祖母とのふたり暮らしになったが、今度は殺意を感じなかった。7年間で殺意を封じ込めることができたからなのか、もともと殺意などなかったのか、あるいは自分を認めることができるようになって気にならなくなったのか、まだ結論は出ていないようだが。

「生活費は稼ごうと思ってコンビニのアルバイトの面接に行ったんです。でも履歴書に書けるのは高校卒業まで。その後、どうしていたかと聞かれ“7年間、ひきこもった”と言うと面接官の顔が曇って目も合わせてくれなくなる。それがいちばんつらかった」

 そういう経験をたくさんして落ち込みそうになったが、彼はそこで開き直った。大きな公園で“心の相談受けつけます。カウンセリングします”というプラカードを持って歩いたのだ。すごい勇気と驚いたが、彼はもともと路上ミュージシャンに憧れていたし「面接官に目を合わせてもらえなくなるほうがずっとつらかった」から、と笑う。

 その後、講演が入ったりテレビに出たりするようになり、現在はライター兼カウンセラーとして活躍している。