また、コロナ禍での不祥事ですっかり落ちぶれた石田純一にしても、不倫からは復活できていた。これは周囲に乗せられて都知事選に出馬しそうになるような無邪気なロマンチシズムが意外とニクめなかったからかもしれない。

 斉藤にも“夢見る夢子ちゃん”みたいなところがあり、それは一貫して変わらない。10代から20代にかけて何度か取材した際、彼女は文学や映画に描かれる背徳への憧れをよく口にした

 ふだんはキリスト教徒としてストイックに生きているぶん、たまに羽目をはずしたくなるわけだ。そして「学ばない」ことを反省する。とはいえ、その経験を活かし、怪演と呼ばれる仕事もこなすようになってきた。ある意味、生産的な不倫なのである。

 なお、彼女はアイドル時代「性的な感じ」で見られることが「生理的に受けつけなかった」とも言う。不倫とは矛盾するようだが、その恋愛はけっこうプラトニック志向でもあった。それは尾崎について「同志みたい」、川崎について「傷をなめ合う仲」と語ったことからもうかがえる。前出の火野もそうだが、肉体的快楽だけを求めているわけではないことは、世間にもなんとなく伝わるのではないか。

 不倫のイメージを分けるのは、そんなロマンチシズムの有無。ロマンチシズムのかけらもないような不倫(例・渡部建)は、やはり叩かれるだけなのだ。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。