原作者である安孫子先生とは何度かお会いしているけれど、いちばん印象的だったのは、昭和が終わって間もないころの記憶。当時私は、NHKのドラマに出演していて、その日も収録を終え、玄関に向かっていると、血相を変えてこちらに向かってくる安孫子先生と鉢合わせになったことがあった。

「お久しぶりです。そんなに急いでどうされたんですか?」とあいさつをすると、安孫子先生は「手塚先生が亡くなられたんだ」とひと言だけ。NHKの中へと消えていった。

 ドラマ『まんが道』の撮影は、実際に藤子不二雄両氏の故郷である富山県で行われた。厳密に言えば、高岡大仏で有名な高岡市(藤子・F・不二雄先生の故郷)でロケを行っていたんだけど、とても気持ちのいい場所で、私たちはすっかり高岡を気に入ってしまった。特に、旅館で食べたホタルイカの沖漬けの美味しかったこと! 東京に戻ってくるなり、私はその旅館・海老源さんにお礼の手紙を書いたほどだった。

 すると、すぐに返事が届き、

「そのホタルイカの沖漬けは当旅館が作っているものではないのですが、もしよろしければ私たちも作っているので、お召し上がりください」と、ホタルイカの沖漬けと塩辛などを送ってきてくださった。

 そのホタルイカも負けず劣らずの逸品。あまりに美味しいものだから、私は仲のよかった落合博満さんの奥さま・信子さんに、「食べてみて」と送ってしまった。信子さんもすっかり気に入ったみたいで、後日、「ホタルイカをまたお願い」と連絡してくださった。落合家を唸らせるくらいなんだから、ホントに美味しかったのよ。

 すっかりそのホタルイカに魅了された私は、その後も海老源さんのご夫妻とお手紙のやりとりをするなど、長らく交流が続いた。海老源さんの息子さんが結婚された際には、私は東京の披露宴に出席までしてしまったのだから、ホタルイカがつないでくれた縁に感謝よね。

 高岡市という言葉を聞くと、竹本君が演じた道雄と、安孫子先生のお姉さまや姪御さん、海老源さんのご夫妻などを思い出す。『まんが道』もドラマチックなお話だけど、『まんが道』から派生した思い出もドラマチック。事実は小説よりも奇なり──とはよく言ったものね。

冨士眞奈美(ふじ・まなみ)●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

(構成/我妻弘崇)