「芸能界のシステムには加担したくない」

 山下は、歌手の大貫妙子らと共にポップスバンド「シュガー・ベイブ」を結成し、アルバム『SONGS』(1975年)でデビュー。同時期に、『ジャニーズ・エンターテインメント』の取締役を務めたこともあるスマイルカンパニー元代表取締役社長の小杉理宇造氏と出会い、アイドル歌手への楽曲提供を開始した。1982年5月号『宝島』に掲載された 山下達郎のロングインタビュー記事によれば、

《もともと芸能界みたいのは嫌いだったし……。若いアイドルっているでしょ。でも、彼らも60、70まで生きてく人間なわけだよね。それを10代の前半から一日数時間の睡眠で働かして、何年かでその人生を消耗させてしまう、しかもそれで金をもうけていくっていう芸能界のシステムっていうのを僕は容認できないのね》

《今、プロデュースの仕事は沢山来るんだけれども、僕はアイドルのプロデュースはやらない。そういうシステムに加担したくないからね》

 と当時は若手アイドルの人生を狂わせかねない仕事に抵抗を示していたが……。のちにKinKi Kidsのデビュー・シングル「硝子の少年」(1997)や「ジェットコースター・ロマンス」(1998)など、数々のヒットソングを世に出しているのは周知の通り。なぜジャニーズという“アイドル少年”たちに楽曲提供をするようになったのか。

自社のスタジオがレインボーブリッジ竣工に伴い、取り壊しにあったこと、以前所属していたレコード会社とアルバムのアレンジについて諍いが生まれ、係争状態にあるなど、打撃を受け、一時は引退を考えた時期もありました。そんな折に、小杉理宇造氏から『KinKi Kidsのデビュー曲を書いてみないか』と打診があった」(レコード会社幹部)

 結果、『硝子の少年』は約180万枚の大ヒット。その後、ジャニーズへの楽曲提供が盛んになっていったのは誰の目にも明らかだ。

 2022年、山下はKinKi Kidsのデビュー25周年記念曲『Amazing Love』を作曲。同年の『紅白』にふたりが出演した際、歌唱前に山下からサプライズメッセージが発表された。

《KinKi Kidsのデビュー曲『硝子の少年』は、私が作曲を担当させていただきました。あれから25年、今年また『Amazing Love』を今度はお2人と共作できたことにより四半世紀をまたぐすばらしいマイルストーンを築くことができました。今夜の紅白で私たちの絆を確かめる幸せを味わいつつ、ますますのご活躍を》

 感極まったふたりは、山下が作曲した「硝子の少年」と「Amazing Love」を披露したのであった。

「そういう方々には私の音楽は不要」──深い絆を“壊しかねない”発言をした山下達郎。今後の展開はいかに。