「1作目では、母親が父親を殺した罪で死刑囚となり、娘は不良になって少年院へ母親の死刑執行を延期することを条件に、警察に協力することに。2作目では、悪の組織から素性がバレないようにするため、子どものころから17歳まで鉄仮面をつけて生活を送っていたという設定。3作目に至っては、ドラマ内で亡くなった人が最終回で生き返る……。ほかにもいろいろありますが、ツッコミを入れるのも野暮なお話でした」

 そんなトンデモ設定をも吹き飛ばす痛快ドラマを、毎週多くの人が楽しみにしていた。が、そのウラで犠牲になった人がいる。

「それこそが、主演女優たちです。華々しく芸能界デビューした彼女たちに課せられたのは、休みなく働かされる殺人的スケジュールでした」(芸能ライター、以下同)

 当時はアイドル全盛期。それまで右も左もわからない、ごく普通の高校生だった少女たちが、次々と新人アイドルとしてデビューしていた。

「斉藤さんに与えられた休みは、1年間に1日だけ。日付が変わってから帰宅するのが日常でした。歌手としてもデビューしていましたから、歌番組やイベント出演の仕事もあった。そうした合間にセリフや殺陣を覚えるなど、ドラマの準備が必要になる。地獄の日々だったと思います。当時は主演映画の撮影が何本も控えており、常に痩せている必要もあった。育ちざかりなのに満足に食べることもできなかったそうです

“セリフが覚えられない”

 ドラマが放送された期間にも問題があった。今では3か月1クールで放送される連続ドラマが普通だけど、『スケバン刑事』は違っていた。

「斉藤さん主演の1作目は1985年4月にスタートし、終わったのは同年10月末で、計7か月間も続いたんです。南野さん主演の2作目に至っては、1作目の放送が終了した翌週に始まって、終了したのは1986年10月。実に1年間にわたって放送されました。今では考えられないスケジュールです」

 当時、『スケバン刑事2 少女鉄仮面伝説』で南野と共演した俳優の当山彰一氏もこう証言する。

「撮影の休憩時間も南野さんはマネージャーから水と台本を受け取って読み込んでいました。南野さんは“セリフが覚えられない”と、よく弱音を吐いていましたね。当時は移動の合間にすら歌番組に出演していました。駅のホームから中継で歌ったり……。移動中ですら仕事なわけですから、眠る時間なんて、ほとんどなかったと思います。NGを出せば、何十人といるスタッフの顔も険しくなっていく。そうとうなプレッシャーがあったはず」

 10代の少女たちが、こうした過酷な労働を強いられていたのだ。