目次
Page 1
ー 催眠術の魅力
Page 2
ー 催眠術を学ぶため、再び渡米
Page 3
ー 知らず知らずかかっている“負の催眠”
Page 4
ー シミ・シワにウエストまで!?

「僕は、世界中の人がかかっている“負の催眠”を解きたいんです」

 “催眠術”と聞いて、あなたが思い浮かべるのは何か。多くの人は、バラエティー番組でタレントが突拍子もない挑戦をさせられる様子を思い起こすのではないか。催眠術師のジョイ石井は、そういった日本のテレビ界における催眠術に深く関わった経歴を持ちながら、冒頭のようにこれまでの催眠術師とはひと味違った展望を語るのだった――。

 ジョイ石井が催眠術に関わったきっかけは、1992年に放送されたテレビ番組『最強の催眠術師マーティン・セント・ジェームス』TBS系)の番組でマーティンの通訳を務めたことだった。渡米経験があり英語が堪能だったジョイだが、出演の経緯は意外なものだった。

「僕はもともと、24歳のころから青年座という劇団で俳優をやっていました。そこに当時、英語が喋れる俳優を探すオーディションの話が来て、ドラマに出られるチャンスだと思って受けに行ったんです。でも蓋を開けてみたら、“海外のステージ催眠術師を日本に呼んで特番で放送するんだけど、本職の通訳をつけてやってみたところ上手くかけられらなかったから、多少演技ができて英語も話せるような人を探してる”という話で。僕はもともと催眠術なんてむしろ嫌なほうだったので、“すいません、それなら帰ります”って言ったんですけど、スタッフの方が“オーディションの順番は一番最初にするし、すぐ終わりますから”と言うので渋々受けたところ、受かっちゃったんです」

催眠術の魅力

 ひょんなところから参加した番組は、予想を上回る反響を得ることに。

「特番が第8弾くらいまで放送されて、番組は3年続きました。企画会議には放送作家さんが入るけど、作家さんが考える面白さと催眠術をやってきた人が考える面白さにはギャップがありました。僕は制作の現場でもマーティンの通訳を務めていたから、次第に僕も間に入る形で“だったらこんなのはどう?”なんて自分のアイデアを言うようになって、それが段々と採用されていって、視聴者にもけっこうウケたんです」

 当初は訝しんでいたジョイも、その様子を見てだんだんと催眠術の魅力に気づいたという。

「番組で催眠にかけられるのは、有名なタレントさんたち。安岡力也さんやお笑い芸人の方たちが、ネタよりも生き生きしてて面白い姿になるんです(笑)。それで、人の能力を引き出すのってすごいなと思うようになって、だんだん興味を持ちました。そして催眠術のネタを考えるようになりましたが、マーティンに“それはできないよ”と言われることもしばしば。例えば、1つ催眠をかけた上でさらにもう1個催眠をかけることは、その人が混乱するからできないよと。でも、僕はそこが面白いんじゃないかなと思ったんです。ただ、マーティンの現場では彼がノーと言ったらノー。それで、自分でもやってみたいなと思うようになりました」