日米野球も終わり、オフに突入した12月2日には、後にも先にもこの時しかない"レア"な体験をした。

 スポニチフォーラム制定「FOR ALL 2014」(スポーツを通じて社会貢献や地域振興に寄与、または日本を元気づける顕著な働きをした個人、団体を表彰)で、大谷がグランプリを獲得。私は主催社であるスポニチを代表して、練習後の鎌ケ谷から表彰式会場の東京ドームホテルまでタクシーに同乗。車内で大谷に単独インタビューすることを許された。

 徐々に日が暮れる夕方の移動だった。車内は徐々に真っ暗になり、準備していた質問案の文字がなかなか読めず、悪戦苦闘。大谷に何度も「何してんすか!?」と大笑いされた。

 一方、その車内で大谷の警戒心を疑う出来事もあった。

 インタビュー前に自身のスマートフォンに見知らぬ電話番号からかかってきた際に「もしもし。どなたですか?」と急に通話し始め、「スーパースターなのに大丈夫か!?」と、こちらが心配になった。調子に乗ってLINEを聞いたら「ダメですよ。青木さん(当時日本ハム広報)を通して下さい!」と笑われ、その様子に聞き耳を立てていたタクシーの運転手にも大笑いされた。

 兎にも角にも、通常なら40分程度の道のりが渋滞のため、1時間ほどかかったのも幸いだった。異例の単独ロングインタビューはなんとか無事に成功した。

160キロが普通になる時代が来る

 印象的だったのは、体づくりに関する質問に対して「理想は(体が)細くて、重くて、長くて、しなる棒のイメージ。それを速く振れば、当然、速い球を投げることができる」と、独特な言い回しで説明していたこと。そうかと思えば、「160キロ以上を投げないと(観客に)拍手されなくなった」と苦笑いを浮かべるなど、ざっくばらんに話をしてくれた。

 さらに「いつかは、それ(160キロ)が普通になる時代が来る」と言い切っていた。「本当に?」と半信半疑だったが、後の佐々木朗希(ロッテ)らを目の当たりにして、的確な予測だったと今にして思う。

 物事を俯瞰して見ることができる能力は当時から図抜けていた。

 表彰式後には、球団の計らいもあり、主催社を代表して、ホテル近郊の焼き肉屋で大谷らと合流することもできた。もちろんその場では、取材ノートとペンはバックパックの中にしまい、完全プライベートを尊重。