「今だから話せること? 僕はそういうのないよ。そのとき、そのときで聞きたいこと聞いてるし、包み隠さずにテレビで話していたから。それをいまは区議会でやってるけどね(笑い)」

20150217 showa wide  (12)
須藤甚一郎 (すどう じんいちろう) ●昭和42年以来、ジャーナリスト(雑誌記者、夕刊紙編集委員、テレビリポーター、コメンテイター、専門学校ジャーナリズム講師)として45年以上活動。政治、犯罪、医学、災害、事件から芸能ニュースまで取材範囲は幅広い。これまで取材した対象は、田中角栄から市川海老蔵、みのもんた、AKBまで、その人数ざっと5千人を超える。

 そう言って胸を張るのは、かつて数々のワイドショーでレポーターとして活躍し、現在は東京・目黒区の区議会議員を務める須藤甚一郎。

 1967年、昭和42年に女性週刊誌の記者となった須藤は、いくつかの雑誌で経験を積みながら、’71 年に創刊された『微笑』(祥伝社)の立ち上げメンバーとなる。週刊誌の記者ながらゲストとしてワイドショーには出ていたが、’77 年からは『アフタヌーンショー』(テレビ朝日系)の正式なレギュラーとなり、番組が終了する’85 年まで出演した。

「僕は事件と芸能ニュースの両方をやっていました。’10 年に亡くなった梨元(勝)さんとか前田忠明さんは主に芸能担当だったけど、両方ともやっていたのは僕だけ。暴力団の抗争とかハイジャック事件とか、なんでもやったね」

 当時はワイドショー全盛期。『アフタヌーンショー』が終わっても、須藤は各番組からお呼びがかかった。フジテレビ系の『おはよう!ナイスデイ』、日本テレビ系の『ルックルックこんにちは』にも出演。テレビ朝日系では『モーニングショー』や『やじうまワイド』でもレポーター兼コメンテーターとして活躍した。

「いちばん忙しいころは、朝にテレビ朝日に出て、車で日本テレビに移動して午前中の番組に出て、午後はテレビ東京に出て、それから大阪まで行って夜の番組にも出ていた。すべて生放送で、1日に4~5本の番組に出ていたよ」

 そんな須藤に思い出深い取材について聞いてみると、

「結婚だったら、百恵さんと聖子。百恵さんが結婚したのは昭和55年だけど、当時は結婚式を中継するという発想はなかった。でも、教会の前が狭い道路なのにファンと取材陣が合わせて何千人と集まった。そこにふたりを乗せたハイヤーが出てくるんだけど、後部座席を見せないように黒いフィルムを貼っちゃったもんだから、それで何とかカメラで撮ろうと人が殺到しちゃって大騒ぎに。ガードマンもいないし、車はボコボコになって、よく死者が出なかったと思いますよ。わざと隠すからいけないんだよね。昭和60年の聖子と神田正輝の結婚は、朝の挙式から中継して、午後の披露宴、夜に空港からハネムーンに旅立つまでぶっ続けで放送した。テレビ朝日だけで出した取材クルーは17班。カメラマン、音声、照明、ディレクター、レポーターの最低5人で1班だったから、すごい人数だよね」