石堂さんは1枚の写真を見せてくれた。母子の貴重なツーショットだ。’12 年1月、健二さんが誕生日を祝ってくれたという。
「ケンジは母の日にカーネーションを贈ってくれたり、親孝行でやさしい子。3年前の私の誕生日には、近所の懐石料理店でごちそうしてくれました。お店を指定したのは私でしたね。奮発してほしくって。予算オーバーだったかもしれません。かわいそうなことをしちゃいましたね」
健二さんは3人きょうだいの末っ子。順子さんは健二さんの実父と離婚し、再婚して現在の夫と暮らす。しかし、写真の健二さんの表情を見る限り、家族と別れた母親を恨んでいる様子はない。
母の日には「こうして花を贈れる相手がいることに感謝しています。いつまでも元気で!」とメッセージカードに書いた。
事件後、健二さんの仕事はクローズアップされた。戦地や紛争地の子どもたちの暮らしと表情。ツイッターに書いた
《目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった》
の言葉は感動を呼んでいる。
「いいこと言うなあ~とビックリしました。私の子どもなのに。ケンジの仕事がほんの少しでも、みなさんのお役に立てたのであればうれしい。私は変わります。残りの人生、ケンジを誇りにして、マネをして生きていきます。心の痛むニュースが多い中、敵視するのではなく、お互いが理解し合って戦争のない地球にしたいですよね。それがケンジの喜びであり、私の願いです」
かつて記者会見で原発の話をして「趣旨がズレている」などと一部で批判された。原発の話を振ってみた。
「ヘンなこと言うとケンジに怒られますから。ほら、余計なことしゃべっちゃダメだよ、って(ケンジが)首筋をくすぐっていますよ」
遺影は、赤、黄色、ピンク、オレンジなど色鮮やかなバラやポピーに囲まれている。白菊一色では寂しすぎるから。なんと声をかけてあげたいかと問うと、順子さんは、ちょっと詰まって言った。
「ケンジ、ごくろうさま」