棚橋の"強さ"の根源は家族にあった

20150421 tanahashi (16)
"一升餅"を背にくくり、歩いた
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 棚橋は1976年11月13日に岐阜県大垣市で生まれ、高校卒業までこの町にいた。

 生家は、東海道新幹線の岐阜羽島駅からクルマで20分ほど。揖斐川にかかる大安大橋を渡って、すぐのところにある。遠くに大垣市街の高層ビルが見えるものの、車窓からの風景は民家や商店、田畑が交互に現れる、至極のんびりしたものだった。

 棚橋は父・貞之(68)と母・とも子(65)の初子として誕生した。長男・弘至の生後2年して弟、また2年たって妹ができた。一家は父方の祖父母を含めて7人。現代では珍しい大家族のもと、愛情いっぱいに育てられた。

 母は顔をほころばせる。

「私たちにとって子どもは宝物。おじいちゃん、おばあちゃんにしても初孫だから、弘至のことは目に入れたって痛くなかったんです」

 両親はさっそく写真アルバムを広げてくれた。

「これは弘至が1歳の誕生日に撮りました。一生食べるのに困らないようにと、一升の餅を背負わせるんです」

 赤ん坊の棚橋は、約2キロもある餅を背にしながら、苦もなく歩いてみせたそうだ。

「弘至が足を前に出すたび、頑張れって応援したり、拍手したりと大騒ぎでした」

 母が身ぶり手ぶりを交えて話す隣で、父は落ち着いた声を響かせた。

「小さいころから、弘至の意思は尊重してやりました」

 母はうなずく。

「弘至のやさしい性格はお父さんに似たんですよ。天然キャラは私の遺伝です」

 そういえば、棚橋は「母からキツく叱られた記憶がない」と話していた。母は言う。

「ガツンとやるのはお父さんでしたね。無口だけど怒ると怖いというのは、弘至も承知してたはず」

 棚橋は、自分の個性がこの環境の賜物だと認めている。

「両親や家族との絆を、僕は素直に信じています。世界中が敵になったとしても、家族だけは僕を信じ、生きている価値があると言ってくれる。このバックボーンが僕の"強さ"の秘密でしょうね」

 両親は月に1度、神社に出向いて弘至の無事を祈願するのを欠かしていない。大事な試合の日は、必ず赤飯を炊いて仏壇に供え、勝利を祈る。