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 '75年に発売されて大ヒットした『なごり雪』を歌ったイルカ。今年で発売からちょうど40周年となった。その隣にいるのは、イルカのひとり息子でシンガー・ソングライターの神部冬馬。親子2代で歌い手ということに。

「台所が私と息子の遊び場だったんです。一緒に家事をしたり。私の調子が悪いときには、幼稚園児ながら、“お母さん、今日は寝ていていいよ”と言ってくれる子でしたね。小さいころから料理も作ってくれて。チャーハンばかりでしたが(笑い)。ちゃんとランチョンマットも敷いてくれるんですよ」

 現在は、ラジオパーソナリティーや舞台出演、イベントMCなどマルチに活躍する冬馬。プロサッカーチーム『ヴァンフォーレ甲府』のイメージソングも、冬馬が作詞・作曲し、歌っている。

「僕がまだアマチュア時代に、サポーターとしてよく観戦に行っていたんです。サポーター仲間が増えていく中で、たまたまクラブの方に“曲を作ってくれないか?”と声をかけていただきました」(冬馬)

 イルカの夫で冬馬の父親にあたる、'07年に他界した神部和夫氏も、実は元歌手。後にイルカのプロデューサーに転身するのだが、イルカとの出会いは大学時代にさかのぼる。

「フォークソング同好会に所属していたのですが、彼がコーチとして来ていて知り合ったんです。そのときに“歌わないか?”と誘われて。でも、私は父親がジャズマンだったこともあって芸能界は甘くないと知っていましたし、人前に出るのも苦手だったので、歌手になりたいとは思っていなかったんですよ」(イルカ)

 しかし、神部氏の言葉によってイルカは人生を捧げる決心をする。

「“僕は音楽だけではなく、イルカという人間の人生のプロデューサーになりたい”と言ってくれたんです。そこまで言ってくれるなら、一生を捧げようと思って」(イルカ)

 イルカは歌手活動をするかたわら、育児も含めての家事を、夫はイルカを売り出しに行く、というまさに“二人三脚”の体制だった。『なごり雪』も神部氏がもたらした仕事だったというが、イルカの中ではこの曲を歌うことに対する葛藤も。

「今はカバー曲を歌われる方も多いのですが、当時はほとんどいなかったんです。『かぐや姫』の楽曲なので、ファンの方々に申し訳ないという気持ちもあって。レコーディングの日まで吹っ切れなかったのですが、当日に作曲をされた伊勢正三さんが現場にやって来て“そういうことにこだわる必要はないんじゃないかな。この曲が嫌いなら仕方ないけど、好きなら歌ってくれたほうが僕はうれしいよ”と言ってくれたんです。その言葉で自分の中のモヤモヤが消えていきました」(イルカ)

 '76年の春先に、季節感とマッチしたことも相まって『なごり雪』は大ヒット。その2年後に待望のわが子である冬馬が誕生する。幼いころからイルカのコンサートを見に行っていたという冬馬は当時、歌手の母に対して、こんなアドバイスも。

「“お母さん、アンコールはもっと早く出て来ないとダメだよ”と言われました(笑い)。“みんな一生懸命、拍手しているのに出るのが遅くて拍手が終わったらどうしよう”とハラハラしていたんですね」(イルカ)

 冬馬からは間髪入れずに「最近は早くなったけど、当時はいくらなんでもためすぎだった」とのツッコミが。そんな冬馬が目標とするのは、イルカと同世代で、現在も活躍する先輩歌手たちだという。

「体力的な面も含めて、いまだに第一線で活躍されている母と同世代の方たちは、やはりスゴイなと。コンサートの打ち上げも大事にされていて、歌手同士もそうですが、スタッフの方たちのためにという感じですね。“飲ミニケーション”という文化は、音楽の世界でも大事だと思っています。人間性が優れていないと、ずっと仕事が続くこともないと思うので。僕も“生涯現役”が目標ですね」(冬馬)