SMAPがCDデビューしたのは1991年だが、最初は鳴かず飛ばず。現場に同行するマネジャーもおらず、個々が電車で仕事場に向かっていた。

 そんな彼らのマネジャーを買って出たのが“独立騒動を画策してメリー喜多川副社長の逆鱗に触れた”と報じられ、退社に追い込まれた女性のIマネジャーだった。デビューしたばかりの木村拓哉を地方のホテルで取材した雑誌編集者は言う。

「ひとりで取材場所まで来ましたよ。終始キラキラした笑顔で受け答えしてくれましたね。終えて帰ろうとしたら、彼はわざわざホテルの出口まで僕らを見送ってくれて“また取材よろしくお願いします”って、満面の笑みで言って、深々と頭を下げたんです」

 今の木村とは、まったく違う印象。人気絶頂になったころの木村は“インタビュアー泣かせ”として有名だった。

「ブレイクした後の木村クンは威圧感があって、複数のマスコミによる囲み取材なのに怖くて誰も声をかけられない雰囲気でした。たくさんの取材を受けていても記事はチェックしているみたいで“こないだの記事さ、ウソ書いてんじゃねーよッ!”って記者に詰め寄ることもありました」(テレビ誌ライター)

 それも木村流のプロ意識の表れなのだろう。

「木村クンは“アイドル扱い”をされるのを非常に嫌がっていました。インタビューも宣伝的なことを聞くと無愛想に。でもカルチャーとかファッションの話には食いついてきた」(前出・ライター)

 女性誌で『好きな男No.1』を連覇中の数年間は、本人の前で「キムタク」という単語を使うと、機嫌を損ねた。世の中はキムタクブームに沸いていたが、彼の周辺では「キムタク」がNGワードだった。