NHK hausing C

 年末の風物詩となった『紅白歌合戦』。出場者の選考が話題となるのは、いまも昔も変わらない。しかし選ばれるまでのハードルは、かつてのほうが現代よりはるかに高かったそうだ。

「けっこうメンバー決めは厳しいんです。例えば長髪の歌手は禁止。あとはグループ歌手もダメ。第9回になってやっとダークダックスが出たんです。対抗にもグループをということで、即席で紅組にもボーカルトリオを作って対決させました。男女混合グループも第19回のピンキーとキラーズまではNGでしたね。今ではボーカルの性別によって組が分けられていますよ」

 こう語るのは自身も歌手であり、紅白博士として執筆活動なども行う合田道人さん。今でこそ1年を代表するような人気歌手が出場し、歌手にとっても憧れの舞台と言われるようになったが、当時は逆に、歌手が“紅白”出場を選ぶかどうかという時代でもあった。

「スタート当時は超売れっ子歌手は出ていなかったんです。なぜかと言えば、放送日がお正月の三が日だったから。地方興行で忙しい人はスケジュールが取れずに出場しなかったり、正月公演が終わってから戻ってくる人もいたんですよ。また、当初の紅白のギャラがあまりにも薄給。美空ひばりは公演に出たほうが断然稼げるので、何度か出演を断っていました」