新しい大学生活や公務など、すべてが注目の的になっている若きプリンセス。その伝統を守りながら、新しい風を吹き込む姿勢は、皇后さまから時代や世代を超え、受け継がれてきたものだという。今回は文化学園大学客員教授で、ジャーナリストの渡辺みどりさんが特別に寄稿。美智子さま、清子さん、そして母の紀子さまから受け継がれた佳子さまの「気品」に迫る


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 よく「娘は母の作品である」といいますが、秋篠宮家の次女・佳子さまは、母である紀子さまはもとより、祖母である美智子さま、おばである黒田清子さん(紀宮)、姉の眞子さまなど身近にいる女性をお手本としてきたと思います。

 今年6月に秋篠宮ご夫妻は、ご成婚25周年の銀婚式をお迎えになりますが、ご婚約が決まったときの紀子さまの両親の記者会見を思い出します。父の川嶋辰彦さん(75)は「精神の自由を大切に」と語りましたが、母・和代さん(73)は、

「あまり自由すぎますのも、どうかと存じます。ある程度の規制をもち、ときには厳しく……」

と眼鏡をキラリと光らせました。和代さんのこの言葉こそが、今日の紀子さまの控え目な美につながっていると思います。

 紀子さまも婚約発表の折、秋篠宮さま(当時・礼宮)との恋愛が初恋かと問われると、秋篠宮さまに、

「申し上げてもよろしゅうございますか」

と確認されました。

 そして、婚約者がうなずかれたのを見て、「はい、そうでございます」と、しとやかにおっしゃったことは強く国民に印象を残しました。紀子さまは、カタログなどで佳子さまのお召し物を選ぶときも、「地味に地味に、目立たないように」と念押しされるとうかがっています。

 紀子さまのそんな慎ましやかさは、佳子さまにも確実に受け継がれているはずです。

 姉の眞子さま(23)は、ICU時代の後半はJR四ツ谷駅から武蔵境駅までJR中央線、駅からはバスで通学されていました。

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昨年3月、ICUを卒業された眞子さま。妹には大学のアドバイスを?


 在学中には英国・エディンバラ大学に短期留学し、博物館学芸員の資格も取得し、現在は英・レスター大学の修士課程で博物館学を学んでいらっしゃいます。

 公務の折、眞子さまは手話をお使いになることもありますが、迫力のある「目力」で訴えられていますね。そんなお姉さまと同じ大学を選ばれたことからも、佳子さまにとって眞子さまは頼りになる存在なのだと思います。

 また、両陛下の長女、黒田清子さんは、初めて親王なみに本格的に公務に取り組まれた内親王でした。清子さんは成年になられてから15年間で、宮殿や御所での行事へのご出席が国内740回、海外8回に及びます。

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民間に嫁ぐ清子さん(当時・紀宮)のために、母娘ふたりで日本各地を旅行されていた(’80年11月・和歌山県)


 卒業後は、山階鳥類研究所に13年間勤務。女性皇族として、大卒で就職し、給料をお受け取りになったのも清子さんが初めてです。阪神・淡路大震災から6年の平成13(’01)年の追悼行事で、会場まで歩く『ひょうごメモリアル・ウォーク』に参加された際のことです。

「移動は車で」と促すスタッフに、「それでは意味がない。歩くために来たのです」と、被災者とともに歩き通されたこともありました。

 そんな清子さんを佳子さまは、眞子さまとともに「ネエネ、ネエネ」と慕い、頼りにされていました。

 佳子さまは昨年の後半からICU入学までの間、地方へのお出ましを含めて精力的に公務をされましたが、清子さんの影響があると思います。そして、清子さんの母であり、佳子さまの祖母にあたる美智子さまは、皇太子妃候補としてメディアに登場する2年も前から、すでに皇后としての「原石」をお持ちでした。

 正田美智子さんは昭和30(’55)年、聖心女子大学2年のとき、読売新聞の成人の日の記念論文『はたちのねがい』に応募し4185人中2位の入賞を果たしました。

 しかも美智子さまは、その賞金2000円のうち半分を読売新聞に寄託し恵まれない人々に、残りの半分を母校・聖心女子大学のマザー・ブリット学長に奨学資金として寄付なさったのです。

 生まれながらにして持たれていた「ノーブレス・オブリージュ(高貴な者に課された義務)」の精神は、佳子さまに受け継がれていくはずです。5年後の東京五輪では、大学院に進学されているかもしれない佳子さまや、ほかのプリンセスたちのご活躍が期待されます。


渡辺みどり(わたなべ・みどり) ●1934年東京生まれ。文化学園大学客員教授で、ジャーナリスト。日本テレビ在職中は、情報系番組を担当。昭和天皇崩御報道では、チーフプロデューサーを務める。著書に『美智子さま 美しきひと』、『英国王冠をかけた恋』など多数