美化されがちな日本の“家族信奉”を見直す内容で話題を呼んでいる『家族という病』(幻冬舎)。“子離れができない親は見苦しい”“夫婦でも理解し合えることはない”などのテーマで家族間に悩みを持つ人を勇気づけ、現在43万部のベストセラーになっている。そこで、著者の下重暁子さんに、本を書くに至った理由、家族との傷つかない距離の取り方を聞いてみた。【後編】
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■人に対する思いやりが欠けていた

「人に期待することが嫌いなので向こうから期待されるのも負担に思うんです」

 結婚相手とは“その点”を見極めてから一緒になった。キャスター時代の仕事仲間だった3歳年下の夫のことは、“つれあい”と呼ぶ。

「私以上につれあいは期待しないし、人をあてにしませんね。全部、自分のことは自分でやるし、それが自由だと思っている人。ご飯も向こうがずっと作っていますよ」

 世間的に妻や夫の役目とされる区分が、ふたりにはまるでない。家計も自然と独立採算制の形をとっている。もともと結婚には興味がなかった。

「それどころか、料理や掃除とか“生活”というものをバカにしたところがありました。つれあいと出会う前に大恋愛をした芸術家とは、まさにそういった“生活”を排除した付き合いでしたから、誰かと一緒に暮らすのは無理だと思っていたんです」

 惚れ抜いた人でも考えられなかった結婚生活だったが、ある日ふと、その“生活”の持つ意味合いに気づく。

「つれあいの家にみんなで遊びに行ったら、彼が台所でトントントンと料理を作っていたんです。その後ろ姿から、生活というものは大事なものかもしれない。生きていくための土台で、それを大切にしないところからは何も出てこないと感じとったんですね。そのときに、ひょっとしたらこの人となら一緒に暮らせるかもしれないと思いました」

 その予感はあたり、今に至る45年の間、生活をともにしている。長い月日の中で、人と住むことの価値を知った。

「それまでの自分は人に対する思いやりが少し欠けていたんです。小学2〜3年生のときに結核を患って2年ほど学校を休んで、家でも別扱いされていたので、ひとりで育ってしまった感覚があったのね。だけど、一緒に暮らしていれば相手の変化に気づくじゃないですか。それによってどう気遣えばいいとか、思いやりの大切さも覚えました」

■人とのつながりに年齢や血縁は関係ない

 子どもはいない。夫婦で相談したうえでつくらなかった。

「もし子を持ったら、母と同じような生き方になるかもしれないと思ったので、まったく後悔していません。子どもならよその子がいるでしょう。実際につれあいと私が通う美容室に孫娘のようにかわいがっている小学生がいてね。つれあいは、その子と交換日記をしているんですよ。このあいだは、ふたりで水族館へ遊びに行っていました」

 人とのつながりに年齢や血縁は関係ないという。その考えは友達関係にも表れている。

「長く生きると友達が死んで寂しいのね。でも、それは同年代の人と仲よくなりたいと考えるからであって、若い人を友達にすればいいと気づいてね。だから私にはいろんな年代のお友達がいますよ」

 30代の知り合いと友達になりたいという気持ちから、携帯メールの仕方を覚え、新しい世界も習得した。

「昔は近所の子どもをかわいがることや、養子をとることが当たり前でした。うちも明治生まれの祖父の代に夫婦養子で『下重』になったんです。それがいつからか血縁が重視されて、特に3・11以降は“絆”という言葉が流行りだした。だけど、家族という小さな団体を頑張って守るという考えは窮屈だし、そこから何も広がらないと思います」

■孤独死は不幸ではない

 無理な連帯は無駄。その考えは、本の中で提唱している《孤独死は不幸ではない》という思いにもつながる。

「考え方次第では、ひとりで死ぬほうが寂しくないと思うんです。例えば家族が遺産を狙っていたり、世話が面倒で早く死んでほしいと内心思われて逝くよりも。そもそも人は死ぬときはひとり。孤独に死んだからといって悲惨という見方ばかりではないと」

 下重さんが進めている老いじたくのひとつに“ひとりに慣れること”がある。

「特につれあいと話し合いをしたわけではないのですが、4年前に寝室を別にしました。以前は旅行や軽井沢にある山荘へはふたりで出かけていましたが、このごろはお互いひとりで行っていますね」

 2年前には遺産に関しての公正証書も作ったという。

「私が先に死んだ場合と、夫婦そろって死んだ場合のことが書いてあります。相続が親族内でいちばん揉める問題ですからね。うちの両親も公正証書を残してくれたおかげで、トラブルがなくすみました」

 死ぬときに家族に面倒をかけないという面では、両親も兄も同じだった。

「私は誰の介護も経験していないんですね。知り合いに100歳を越えるお母さんがいる女性がいるんだけど、介護をすることで初めて母親の好物を知ったというの。彼女の言葉によれば、親が弱い立場になって、ようやく本来の親の姿を理解することができたと。発見があるから会話するのが楽しいんですって。そういう話を聞くと、私にはその機会がなかったから、一抹の寂しさがあるんですね」

■亡き家族にあてた手紙

 自分は家族の本当の姿を知らない。そういった思いを抱えていた3年前。父と母が結婚前にやりとりしていた手紙が大量に見つかった。

「それを読んで初めて父親や母親という人は、こういう人だったのかとわかったんです。私が母の強い意思で生まれたというのも、ここで知りました。その一方で、家族の“個”としての姿を全然知らなかったことに気づいたんです」

 本の最後には、亡き家族にあてた手紙が載っている。死ぬ間際、枕元に貼ってあった記事を見ても許せなかったという父への思いはこう綴られている。

《私が目をそむけていたかったのは、あなたのそうした優しさであり、その素地をうけついでいる私自身への嫌悪でもありました》

 あらためて、この本を書いたことで家族への思いに変化があったのか聞いてみた。

「とてもスッキリしましたね。兄と私が腹違いなんてこと、誰にも言ったことがなかったんです。だけど家族の本だから、自分のことを正直に書こうと覚悟して取り組みました。何の隠し事もなく、スッキリした気持ちであの世へ逝けるのはとてもいいことですね」

 最後に、天国で家族に会いたいかと質問すると……、

「あの世へ行くのはすごく楽しみ。だけど、特に家族には会いたくないわ(笑い)。向こうでもひとりでいたいですね」

〈プロフィール〉

下重暁子(しもじゅうあきこ)●’36年生まれの79歳。’59年、NHKにアナウンサー職で入局。1年先輩には女優の野際陽子がいる。その後、フリーキャスターを経て文筆業に転身